『浜野矩随』という噺に登場する若狭屋は、演者によってずいぶん雰囲気が違って感じられる。
例えば、矩随を援助する理由についても差異があるのだが、意図的であったにしろ、なかったにしろ、パトロンの役割を果たしたという点については共通していると言って良いだろう。
そのパトロンという役割に着目すると、柳家さん喬の若狭屋がパトロンとして典型的な振る舞いをしているので、その言動をまとめておきたい。*1
『浜野矩随(はまののりゆき)』の若狭屋について
偉大な芸術家にはパトロンが付いていたという例が多く、例えばルネサンス期のメディチ家が有名だが、日本においても円山応挙は豪商三井家がパトロンであったという。*3
意外なところでは、松尾芭蕉にも杉山杉風というパトロン的存在があったらしい。*4
浜野矩随にとっての若狭屋は、まさにパトロンであったと言っていいだろう。
生活支援
パトロンの最大の役割は、経済的な援助をすることで、芸術家を雑事から解放してやるところにあると言って良いだろう。
名人として開眼する前の矩随の駄作を若狭屋必ず買い上げていたのは、経済的な援助が目的であったと言える。
五両の目的
若狭屋が矩随を𠮟責する原因となってしまう五両について若狭屋が後に語るところによれば、「五両あれば暮らしのことを考えずに制作に専念できるだろう」と思ってのことだという。
素質を見抜く目
未熟な、しかし将来性のある芸術家の素質を見出し、世に送り出すことは、パトロンの重要な役割である。
若狭屋は矩随が「野放しの馬」を持ち込んだ際、「若いうちは何にでも挑戦することが重要であり、たとえ失敗したとしても勉強になるのだ」と話し、自分の能力を超えるテーマに挑んだ矩随に対して寛容な態度を見せている。
父の作風
また、その馬の作品を評価する際は、名人と言われた矩随の父の作風を馬のたてがみに見出し、さらに「のみの入れ方」も父に似ていると評価している。
その評価は社交辞令なのかも知れないが、現在の出来不出来だけを見るのではなく、将来性を評価しようという姿勢がうかがえる。
叱咤激励
若狭屋は矩随の馬に重大な欠陥があることに気付き、また、矩随が生活費の工面にとらわれて創作に専念できていないことに腹を立てる。
その𠮟責の仕方は現代のコンプライアンスに照らせば重大な問題となるだろうが、矩随が身命を賭して作品に向き合うためには、生半可なプレッシャーでは不充分であった可能性が高い。
矩随を開眼させるためには必要な試練であったと言えるだろう。
投資の回収
若狭屋は有り余る金の使い途を探している成金ではなく、本来は商人である。
美術商としての側面にも注目したい。
審美眼
初めて作り上げた見事な作品に矩随は二十両の値を付ける。
若狭屋は明らかに二十両を超える価値を見出しており、矩随の気が変わることを恐れてか、慌てて二十両を支払って所有権を手にする。
恐らくは二十両を遥かに超える高値で売りに出し、それでも買う物が現れて十分な利益を上げたはずだ。
確かな審美眼を持っていたということだ。
河童狸
若狭屋は矩随を支えた功績により、矩随の作品を独占して仕入れることになる。
それがさらなる利益につながる訳だが、その最たる例が「河童狸」である。
開眼前の失敗作である「河童狸」を二十両という高値で売りつけることに成功するのだ。
ただしこれは、客の側が「矩随の作品であればどんなものでも良い」という態度であるので、需要と供給によって決まった適正な価格であり、これをもって若狭屋が悪徳商人であるとは言えないだろう。
こうして若狭屋が上げた利益は、新たな名人を生み出すための資金なるのかも知れない。