tadashiro’s blog

しろのブログ

落語、北海道、野鳥など。

好きな「初天神」

f:id:tadashiro:20190212215326p:plain

2月になり、夫の棒鱈風「いちがちぃ〜」 *1 がようやく下火になったので、正月を振り返ってみようと思う。

正月なんて言うと、いささか季節外れな感もあるけど、正月は本来は1年の最初の月のことですから、1月31日までは正真正銘のお正月でして・・・って枕で話して1月末まで「初天神」をやる落語家もいるので、構いませんよね、小三治さん。

さて、1月はやっぱり「初天神」を聴く機会が多かったので、初天神について考えてみた。聴いているうちに、なぜか好きになれない「初天神」があることに気付いて、当研究会で議論を重ねた結果、その共通点を見つけることができたのだけど、ほとんど同じことが「なぜ柳家さん喬は柳家喬太郎の師匠なのか? (文芸書) [ 柳家さん喬 ]楽天)」に「小さんの教え」として書かれていて、大発見の興奮が急激に冷めてしまった。

さすがさん喬師匠。我々が議論の末に辿り着いた結論なんざ、とっくのとうにご存知でいらっしゃる・・・なんて言ったら、失礼ですよね。向こうは名人で、こっちは素人なんだから。でも、素人なりに「大河を遡って源流までたどり着いた」みたいな努力は認められてもいいんじゃないか? なんて、ただの手前味噌か。

とは言え、せっかくの研究成果なので、さん喬師匠の言葉も引用しながら、発表してみようと思う。念のため断っておきたいのは、当研究会は良し悪しを論じているのではなく、自分たちの好みを論じているのであって、好みが合わないものを否定するつもりはまったくないので悪しからず。

我々が気付いた特徴は何かというと「子どもの描き方」である。子どもが親をやり込めるような描写の初天神はどうも好きになれない。逆に子どもの純真さが父親を困らせてしまうような描写初天神が好きなようだ。

例えば、河童の話を持ち出して子どもを脅す父親に対して子どもが・・・っていう場面にその差が表れるのだけど、我々が好むのは、(お父さんはいまだに河童の存在を信じている)と思った子どもが、「本当は河童はいないんだよ」と教えてあげるような描き方とか、「ほんとにうちのお父っつぁんはあどけない」というような、感想を素直に言ってしまうような描き方。

意図的にやり込めるのと、その意図はないのに父親が困ってしまうのでは、印象がまったく違う。

「小児は白き糸のごとし」なんてぇ申しますが、その時点ではまだ白いのか、既に色が付いているのか、それはどんな色なのか。

ところで、前述の本にはどう書いてあるのかというと、「初天神の親子は喧嘩しちゃあいけないよ」と師匠から言われたと書いてある。うーん、小さんがさらっと言っちゃうようなことに我々はどれだけの時間を費やしたのか。やっぱり小さんのCDも買うべきか。

そんなこんなで、我々が一番好きなのは、やっぱり小三治の「初天神」。妻が落語ファンになるきっかけとなった噺だしね。小三治の「初天神」のキーワードをひとつ挙げるとすれば「無邪気」だと思う。子どもだけでなく父親も無邪気。そこが面白い。

初天神小三治師匠に教えたのは私です」「みんなして向こうのが上手いと思いやがって(笑)」と、さん喬師匠が話していたそうだけど、ごめんなさい。本当にごめんなさい。でも「百川」はさん喬さんの方が好きです。許してください。

 

*1:過去記事(内部リンク)

このブログについて/プライバシーポリシー