tadashiro’s blog

しろのブログ

落語、北海道、野鳥など。

さすが正楽師匠。そして、「時そば」じゃなくて「歳そば」?

毎週録画している「演芸図鑑」。今週は林家正楽師匠がご出演。何度見ても本当にすごい。

いつか、お題を叫んで、切っていただきたい。絶対、家宝になる。

けど、そのためには、

①師匠が出る日に寄席に行って、②前方の席を取り、③勇気を出して、④絶妙なタイミングで叫んでライバルに打ち勝ち、⑤師匠の耳に留まって、切っていただけたら、⑧他の客の羨望の眼差しを一身に浴びつつ作品を取りに行く

というハードルが待ち構えている。

うちにとっては①からして大変。飛行機で行かなきゃならないからね。

この日の落語は『歳そば』。初めて聴いたのだけど、『時そば』と上方の『時うどん』をハイブリッドにして、「時」を(恐らくは分かりやすくするために)そば屋の孫の「歳」にしたもの。*1

技術的には気になるところはなかったのだけど、噺の構成に疑問点が少し。

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「暑かったら脱げ」

唐突なやり取り

「暑いか。」「暑いですね。」「暑かったら脱げ。」の後の、「暑いか。」「ちょうどいい具合ですね。」「暑くしろ。」のやりとりが唐突で、そば屋がなぜ返答を変えたのかが分からず、違和感を抱いた。

上方特有のやり取りか

笑福亭仁鶴の『時うどん』*2 を聴いてみたら、そのような違和感は持たなかった。やはり、これは上方特有のやり取りなんじゃないだろうか。

ローカライズの難しさ

もともと『時そば』は上方の『時うどん』を江戸に移したものと言われており、このやり取りはその際に省略されたものと思われる。*3

もしかしたら、江戸には馴染まないと判断されたのかも知れない。先人に倣って思い切って割愛するか、あるいは、ローカライズにひと工夫が必要なんじゃないだろうか。

なぜ、そば屋の孫の年齢を知り得たのか

時そば』は分かりにくいか

ご存じ『時そば』は、江戸時代の時刻の表し方である「〜つ」と、数を数えるときの「〜つ」が同じであることを悪用して、蕎麦の勘定をごまかす噺だ。

言うまでもないことだが、現代では時刻の表し方は「〜時」になっており、これがネックになると考えたのだろうか。

時代劇に親しんでいた世代には何ら問題ないように思われるが、若い世代には分かりにくいと感じる人が増えているかも知れない。

改作の問題点

恐らく、その点を解消するために、「いまなんどきだい。」を「孫がいるのかい。歳はいくつだい。」として、改作したのだろうと思われるが、今回放送された噺では、客がなぜ「当たり屋(そば屋)」の孫の年齢を知り得たのかが説明されていない。*4

考えられる可能性

「『〜歳ぐらい』という推測をした」というのでは、この噺は成り立たない。1つでも読み違えば、1文をごまかすことができなくなるからだ。

「事前に知っていた」とするなら、屋号をたずねるなどの初めて会ったとする描写と矛盾する。

「客は当たり屋(そば屋)の孫の年齢を知っているが、当たり屋(そば屋)は客のことを知らない(または覚えていない)」という状況のみが、この噺を成り立たせる。

割愛したのなら

もしかしたら、時間の制約でそのくだりを割愛したのかもしれないが、それならば、他の部分を削って時間を生み出してほしい。「落語なんだからそんな細かいことは気にせずに」という意見もあるだろうが、このような些細な違和感が物語に没入することを妨げると思う。

逆に、この点をうまくクリアできれば、面白い噺になる可能性があると期待している。

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