「寝床」の旦那は妻が臨月だという小間物屋を疑っているかどうか問題
このページにたどり着いた方のほとんどには不要だと思うけど、もしかしたら「『寝床』を聴いたことがないけど、この記事を読んでみたい」という方がいらっしゃるかもしれないので、「寝床」のダイジェストを再掲しておこう。
「寝床」とは
「寝床」とは、義太夫に凝っている旦那が、義太夫の会を催して、自分の義太夫を聞かせようとするが、聞くに堪えない下手さゆえに、誰もが様々な言い訳をして招待に応じない。臍を曲げてしまった旦那が・・・という噺。
前回の記事 *1 同様、柳家さん喬の「寝床」を軸にして考察する。*2
また、「寝床」の登場人物としての「旦那」「小間物屋」などは、これ以降、イタリックで表記する。
【この記事の目次】
バラエティに富む言い訳と旦那の怒りのエスカレーション
さて、義太夫の会に行きたくない長屋の住人の、バラエティに富んだ言い訳が前半の見所(聴き所?)の1つなのだが、落語家の腕の見せ所は、むしろそれぞれの言い訳に対する旦那の反応の変化にあると当研究会は考えている。
参加を辞退する者が増えていくにつれ、旦那の期待が失望に変わり、やがて怒りとなって少しずつエスカレートしていくように感じられると成功だ。通常、長屋の住人は5人以上登場する。その人数分の感情の段階があるのが理想で、演じ方の引き出しが多くなければ、難しいだろう。
ちなみに
ちなみに、旦那の怒りのボルテージは長屋の住人が一人も来ないことを知った時点で最高潮に達するが、使用人に聴かせようと思いついたことでいったんリセットされる。その後、使用人にもことごとく参加を拒否され、参加せざるを得なくなった最後の一人の態度によって怒りの限界を超えてしまうのだが、今日の本題は長屋の3人目に登場する小間物屋の言い訳についてだ。
小間物屋の言い訳
3人目に登場する小間物屋は「妻が臨月のため」という言い訳で参加を辞退するのだが、旦那の声のトーンは「怒り」というよりは「失望」という様子だ。次の煎餅屋の言い訳に対しては「怒り」が滲み始めるので、ひとつのターニングポイントであると言えるだろう。
「臨月」に対する旦那の反応の違い
その「臨月」に対する旦那の反応が、落語家によって違っている。端的に言うと、「疑いをもつかどうか」だ。柳家さん喬の場合は、そのことに触れることなく、次の煎餅屋に話題が移るが、他の複数の落語家が「出産したばかりじゃなかったか」と疑いを口にするような演じ方をしている。
後半、旦那の怒りが限界を超えた際の烈しい独白の中で、小間物屋の妻が実は「出産したばかり」であることが明かされるに至るのだが、さん喬が演じる旦那はなぜこの時点で疑いを口にしないのだろう。旦那は小間物屋の嘘に気付いていないのだろうか。
考え得る旦那の思考
当研究会はまず、この時点の旦那の思考を推定してみた。他の落語方の演じ方も含めて、次の3パターンに集約できると考えている。
- この時点で嘘に気付いているが、先を知りたい。
- この時点で嘘に気付いているが、あえて咎めない。
- この時点では嘘に気付いていない。後になって情報がつながって嘘に気付いた。
どちらの演じ方でも、3パターンのいずれも可能性を否定できないが、疑いを口にするタイプの演じ方は1か2のように解釈している可能性が高く、さん喬の演じ方は2か3の解釈である可能性が高いと考えられる。
3である可能性はあるのか
大店の旦那が、出産したばかりの女性がすぐに臨月を迎えるという矛盾に気付かないということがあり得るのか、という疑問は生じ得るだろう。しかし「その可能性はある」というのが当研究会の見解だ。
さん喬の演じ方では、旦那の「人の良さ」が強調されており、性善説に基づいて長屋の住人の言い訳を聞いていたとしても不思議はない。そして、個別の情報として脳に格納されていた情報が、怒りのスイッチによって結びつき、嘘に気付くに至ったものと解釈することはできないだろうか。
旦那の人物像の違い
重要な点は、上記3つの解釈によって旦那の人物像にも差が生じるという点だ。旦那の「人の良さ」は「1<2<3」の順でその度合いが強くなる。
どう解釈するのかは聴き手に委ねられているものと考えているので、当研究会では結論を出さずに、それぞれの解釈で楽しんでいる。
しかし、それぞれの落語家がどのような解釈で演じているのかには関心を抱いており、なんとか解明する方法がないかと考えている。
*2:「 「柳家一門 名演集」その1」(Amazon)