当代随一の名人である柳家さん喬が抱える「問題」とは何事かと思われた方もいらっしゃるだろう。人目を引くためにセンセーショナルな表現にしたが、ファンに怒られる前に種明かしをしておこう。ここで言う「問題」とは、柳家さん喬は「上手すぎる」ということだ。
「寝床」で「上手すぎる」と言えば、もうお分かりいただけるかも知れないが、あえて言葉を重ねてみよう。
【この記事の目次】
「寝床」の義太夫を柳家さん喬はどう演じているか
「寝床」とは
「寝床」とは、義太夫に凝っている旦那が、義太夫の会を催して、自分の義太夫を聞かせようとするが、聞くに堪えない下手さゆえに、誰もが様々な言い訳をして招待に応じない。臍を曲げてしまった旦那が・・・という噺だ。
つまり、この旦那の義太夫は、下手の横好きどころの話ではなく、「ド」が付くほどの「下手」でなければならない。
柳家さん喬の悩ましき「上手さ」
では、旦那の「ド下手」な義太夫をどの程度「下手」に演じるべきだろうか。その点において悩ましいのが柳家さん喬の「上手さ」だ。
『「柳家一門 名演集」その1』(Amazon)において、柳家さん喬が演じる旦那は、あまり「下手」には聞こえない。「つやのある声」*1 と称される美声と、いかにも義太夫らしい節回しのために、「下手」という感じが薄いのだ。このCDで初めて「寝床」という噺に出会う人にとっては、物語が少し進行するまで、多少の混乱が続く可能性が高い。ひと言でまとめると「上手すぎる」のだ。
さん喬ほど上手くない落語家であれば、特に工夫をしなくても旦那の「下手さ」を表現できるはずであり、「上手すぎる」からこそ生じる問題であると思われる。
問題解消を図ったバージョン
その問題の解消を図ったバージョンが『柳家さん喬16 「笠碁」「寝床」- 「朝日名人会」ライヴシリーズ112』(Amazon)に収録されている。
こちらの方は、前出のバージョンと比べて「下手さ」が増しているように感じられる。*2
「下手」といっても、本当に聞くに堪えないほど「下手」に演じてしまっては、客を不快にさせてしまうため、調整が必要だ。さん喬はどのように解決してるのかというと、義太夫の部分の声を大きく(というか強く?)して、フォルテッシモのようにし、義太夫の典型とは異なる節回しで演じている。それによって、「下手」な義太夫であることを表現しつつ、客が不快に感じることを避けていると思われる。
聴き手の側に生じる問題
しかしながら、今度は聴き手の側(というか我々)に問題が生じてしまった。古いバージョンの「寝床」を繰り返し聴いてしまったために、新しいバージョンでは期待通りの義太夫が聴けず、古い方ばかりを聴いてしまうのだ。
物語の整合性がより取れているのは新しい方である。最初に聴いたのがそちらであれば、そちらを好んでいた可能性は高い。
村上春樹のクラシック鑑賞
村上春樹があるクラシック曲について、レコードか何かを「何度も繰り返し聴いたために、観客の拍手も含めて覚えてしまい、実際の演奏を聴いた時に、一人だけ録音と同じタイミングで条件反射的に拍手してしまった」というような経験を何かのエッセイに書いていたと記憶している。
我々は古い「寝床」を、節回しを覚えてしまうほどに聴き込んでしまったため、新しい方が論理的には優れていると理解はしているのだが、「好き」なのは古い方ということになる。
「上手さ」は問題なのか
小津安二郎の映画
映画監督の小津安二郎は自身の映画制作について以下のように述べている。
「私は画面を清潔な感じにしようと努める。なるほど汚いものを取り上げる必要のあることもあった。しかし、それと画面の清潔・不潔とは違うことである。映画ではそれが美しくとりあげられなくてはならない」*3
「寝床」を演じるに当たっては「下手」な義太夫を表現しなければならない。しかし、それと音声の快・不快とは別であろう。
「ジャイアンリサイタル」では
「寝床」との類似点が多い寓話である「ジャイアンリサイタル」は、漫画においては「ボエ〜」というオノマトペで、アニメにおいてはさらに画面にエフェクトをかけることで、視覚的に「下手さ」を表現することが可能だ。
落語においては、この場合は仕草で表現することが難しいため、音声で表現するしかない。つまり、不快な音を、客を不快にさせずに表現しなければならないという矛盾から逃れられないのだ。
ならば、いっそ・・・
ならば、いっそのこと、そんなに下手に演じなくてよいのではないかと思う。確かに、初めて聴くときには混乱してしまう可能性が高いが、古典落語は何度も繰り返し聴くのが通例であるため、文脈によって「下手」であることが理解できれば、その問題はすぐに問題ではなくなるのではないだろうか。
あるいは、「下手」ではなく「長すぎる」という設定に大胆に変更してしまうという解決策もあるかも知れない。実際に、「せっかく読んだ義太夫本が風で戻る。気付かないからまた語る・・・」と、「長さ」を強調している落語家も存在する。*4
ただし「下手」の要素を完全に削除してしまうと、だいぶ趣が変わってしまうため、見直さねばならない台詞がかなり出てくるだろう。
いずれにしろ、さん喬ほど上手くない落語家にとっては、さして問題にならないことではあるが。
*1:柳家さん喬 - Wikipedia(外部リンク)
*2:ちなみに、前出のものは2008年、こちらの方は2015年の口演であり、相当なキャリアを積んでなお探求を止めずに変化を続けている様子が窺える。
*3:「小津安二郎 - Wikipedia」(外部リンク)
*4:【寝床】 柳家喬太郎 - YouTube(外部リンク)