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正しい地名の発音とは(北海道の厚岸町、標茶町、浜中町)

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NHKの六角精児の呑み鉄本線・日本旅「夏・根室本線花咲線)を呑む」という番組を観ていたら、ナレーションに出てきた地名の発音が気になった。

以前、書いた記事の続きとして、「北海道弁上級講座②」とすることもできそうなんだけど、あれを書くのは結構大変だったので、とりあえず単なる感想として書いておこうと思う。

【この記事の目次】

六角精児の呑み鉄本線・日本旅「夏・根室本線花咲線)を呑む」を観て、地名の発音について考えた

タモリ倶楽部」なんかでもお馴染みの六角さんは、北海道の鉄道にも詳しく、地元の人が当たり前に感じている風景を、美しく切り取ってくれた良い番組だったと思う。

だから、あら探しみたいで気が引けるんだけど、気になってしまったものは仕方がない。気になったのは、壇蜜さんがナレーションで読んでいた3つの町名、「厚岸」「標茶」「浜中」の発音だ。

その前に地名の発音の正しさとは

地名の発音について、何をもって「正しい」とするかは、微妙な問題だ。

秋葉原」は「あきばはら」か「あきはばら」か

例えば、「秋葉原」の読み方は「あきばはら」と「あきはばら」のどちらが正しいかという問題がある。

ちなみに、妻の父は完全に「あきばはら」と発音していた。下町で生まれ育った人の中には、「あきばはら」を「正しい」と感じる人がまだ残っているかも知れない。

しかし、「あきはばら」という駅名に馴染みがある多くの人にとっては、こちらが「正しい」という感覚になるだろう。

秋葉原」のように、文字として記録できる地名でさえもこのような状態なのだから、イントネーションの違いについては、さらにややこしくなる。

イントネーションの違い

イントネーションは文字としては記録されないため、どのように発音されてきたのかは自明ではない。何らかの調査がなされていれば、記録化されている可能性があるが、全ての地名について、そのような記録が存在するわけではないだろう。

その上、時代によっても標準的なイントネーションが変化する可能性があり、昔の発音を「正しい」と言い切ることも難しい。

目白の発音

例えば、「目白」の発音について、山手線の車内アナウンスに違和感を覚える人がいるという。たしか、落語家の柳家さん喬が何かの枕の中で、そのようなことを語っていた。

しかし、新しい車内アナウンスを聞いて育った人にとっては、それが「正しい」発音になってしまい、昔ながらの発音は「誤っている」あるいは「古くさい」発音に感じられるだろう。

北海道の地名の発音に関わる事情の複雑さ

北海道の場合は、さらに問題が複雑になる。

地元の人が用いているデファクトスタンダードな発音と、東京方言を基本とした標準語的な発音の違いに加え、地名の由来となったアイヌ語本来の発音に近いかどうかという、異なった視点からの「正しさ」も絡んでくる。そして、アイヌ語に当てられた漢字の読み方にも影響され、「正しい」地名の読み方は幾通りも存在する可能性があるのだ。

「別海」は「べつかい」か「べっかい」か

たとえば、「別海」などは「べつかい」か「べっかい」かで長らく議論になっていたが、現在は、公的表記としては「べつかい」を正式なものとし、「べっかい」という読みも認めるという形に落ち着いている。

同じ地域で正式名称が違うことも

村の規模にも至らないような地域については、読み方にさらに揺れがある場合があり、気を付けてドライブしていると、同じ漢字で表記されていながら、ローマ字表記では地区名とそこを流れる川の名前が微妙に違っているというような例に出会えるかも知れない。

時代の変化とメディアによる影響も

これに、時代によるイントネーションの変化と、テレビなどのメディアによる影響が加わる可能性がある。「富良野」の発音などは、某ドラマのせいで、元々どんな発音だったかが分からなくなってしまった人がいるかも知れないし、ドラマを観て移住してきた人にとっては、主人公たちが使っていたイントネーションが「正しい」発音として認識されているかも知れない。

「正しい」とは言い切れないが・・・

だから、自信を持って「正しい」と断言することはできないのだが、昔から自分が使ってきた発音と比較して、「なんか違う」と言うことはできる。あくまで、個人的な感覚なので、「正しい」と言うつもりはないのだけど、一道民の意見として、述べておきたいと思う。

なお、いつものように、文字の大きさで、音の高低を表すものとする。大きい方が高いということで理解していただきたい。

厚岸町標茶町浜中町

ようやく本題に入るが、3つの町名について、「地元の人はこう発音してきたと思いますよ」というのを紹介しておきたい。

3つとも後ろに「町」が付いている場合と比べて、「町」を外して単独で発音する際に、標準語的なイントネーションとの違いが目立つ。

厚岸町

番組のナレーションでは「あっけし」のように「けし」の部分が同じ音程で発音されていたように思うが、地元では「あっし」のように「け」の部分のみを高く発音してきたと思う。

標茶町

番組のナレーションでは「しべちゃ」のように「べちゃ」の部分が同じ音程で発音されていたように思うが、地元では「しちゃ」のように「べ」の部分のみを高く発音してきたと思う。

浜中町

番組のナレーションでは「はまなか」のように「まなか」の部分が同じ音程で発音されていたように思うが、地元では「はなか」あるいは「はか」のように発音してきたように思う。

番組の感想

前置きが長かったわりに、本題が短すぎたので、番組の感想を少し書き足しておこう。

霧多布

霧多布は本当に霧が多い。アイヌ語が起源の地名なんだけど、上手く漢字を当てたと思う。松本潤 松浦武史郎が考えたのだろうか。

イギリスみたい

六角さんが霧多布の風景について「イギリスみたい、アイルランドとか。行ったことないけど。」という感想を言っていたが、以前、英国出身の人と話したら、道東は「イギリス北部と気候が似ている」と言っていた。当たっているんじゃないだろうか。

鹿銀座

「鹿銀座」という言葉が出てきたが、道東はどこもエゾシカが多い。列車が何かと衝突すると、衝突したものが何なのかを車掌さんが確認するまでは運行を再開することができない。だから、到着時刻が遅れることは頻繁にある。

でも、その後のダイヤはあまり乱れない。ローカル線は2時間に1本程度の本数だったりするので、次の列車にまで影響することはまずない。

花咲線の観光利用の難しさ

ついでに存続が危ぶまれている花咲線のことをもう少し書いておこう。

花咲の車窓から

花咲線は国道よりもさらに山の中だったり、海のそばだったり、湿原の中だったりを走るので、車窓から見える景色が美しく変化に富み、ただ乗るだけでも楽しい。しかし、降りた後が問題となる。

本数の少なさ

観光の場合、拠点とする都市に戻るには本数が少なくて不便なので、降りた駅周辺で時間をつぶすしかないのだが、飲食店などの数は限られている上に、近くにコンビニが無いところさえある。レンタカーを借りようと思っても、降りた駅が無人駅だったりすると、それもままならない。バスの本数も少ないので、利用は難しい。

鉄道遺構もあるのだが・・・

また、周辺には六角さんが訪ねたような奥行臼駅跡の他にも、コアな鉄道ファンが喜びそうな鉄道遺構や線路の跡なんかがあったりするのだけど、鉄道では行きにくいので、通常はレンタカーなどで巡ることになる。そうすると、「鉄道ファンなのに鉄道を使わない」という矛盾が生じるので、鉄道ファンの心を鷲づかみにするまでには至らないだろう。

他にも魅力的な観光資源があるのだが・・・

落石港のエトピリカなど、魅力的な観光資源があるのだが、宿泊施設や飲食店のことを考えると、やはりレンタカーの方が使い勝手が良い。

解決策はあるか

花咲線を走るノロッコ号が運行されることがあるのだが、恒常的なものではないので、根本的な解決には至らないだろう。

どんなに小さな駅でもレンタカーを借りられるようにするとか、小さな自治体で地元住民のための公共サービスとして行われているような予約制のバスを観光客にも開放するとか、それぐらいしか解決策が思いつかないが、いずれにしても問題はコストだろう。

そして、決定的に不利なのは、花咲線に乗るまでの時間的、経済的コストがかかりすぎることだ。それだけの価値があることをアピールできるかどうか。

鉄道維持のメリットを

花咲線を残せるかどうかは、鉄道路線の維持にはどのようなメリットがあるのか、地元の利用者にとってだけではなく、どんな公共のメリットがあるのかを、多くの人に理解してもらえるかどうかにかかっていると思う。関係者の努力に期待したい。

あとがき

ちゃちゃっと書くつもりが、だらだら書いているうちに、かなり長くなってしまった。1つの記事に詰め込み過ぎなんだよな。

目次を付ければ少しは読みやすくなるかな。(後日、目次を作りました。)

ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございます。

追記

8月に出張のために花咲線を利用したという知人の話では、かなり多くの観光客で溢れていたらしい。番組の影響もあるのだろうか。

ところでその知人、乗車位置に立って汽車を待っていたら「どいてください!」と言われて、何事かと思って少し下がったら、一斉に写真を撮り始めたとか、ホームに入ってくるルパン列車の運転士が緊張した顔になってて面白かったとか。

乗車中も、観光客たちは鹿が現れて警笛を鳴らす度に盛り上がったり、地元の高校生が通学のために無人駅から乗り込むのを見て喜んだり、声を掛けたりとかしていたらしい。

日常生活が観光資源になってしまったことに思わず笑ってしまうのだけど、その高校生がもし人見知りだったら、可哀想な気もする。

花咲線の存続のためには、高校生に我慢してもらうしかないのだろうか。夏が過ぎれば少し落ち着くだろうけど。

 

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