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『三枚起請』の遊女(喜瀬川)について

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これまで『三枚起請』の騙され組3人について書いてきたのは、遊女(喜瀬川)について考察するためだ。

被害者の特徴を明らかにすることで、喜瀬川の人物像を推定しやすくしようと考えたのだ。

※ 『三枚起請』のあらすじを確認したい方は ここをクリック してください。

三枚起請』の遊女(喜瀬川)について

三枚起請』の登場人物の名前は、東西や演者によって違いがあるが、この記事では柳家さん喬の口演 *1 に準拠する。

被害者たち

騙された男は少なくとも3人。

棟梁、古道具屋の亥のさん、経師屋の清さんの3人は、「新吉原3丁目 朝日楼内 喜瀬川こと、本名 中山みつ」から、年季が明ける来年3月に結婚をしようとの約束が記載された起請文を、それぞれ受領していた。

喜瀬川は少なくとも3人の男と結婚の約束をしていたことになる。

3人の特徴から

亥のさんは、色白で小太り、初心でお人好しな若旦那だ。*2

一方、清さんは、痩せ形で背が高く、女好きの職人で、亥のさんとは随分違うタイプだ。正反対と言ってもいいかも知れない。*3

そして、もう1人が棟梁だ。棟梁の容姿は明らかではないが、他の2人より年長で分別があり、野暮を嫌う人物だ。恐らく女にモテるタイプだろう。*4

この3人には、男性であるという以外の共通点らしきものが見当たらない。つまり、喜瀬川はどんなタイプの男でもターゲットにできるということだ。ということは、騙された男が他にも存在する可能性があると言えるだろう。

しかし、起請文を所持しているのは自分だけだとそれぞれが信じている限り、騙されていることに気付く可能性はかなり低く、来年3月になり、約束が履行されないことが明らかになるまでは、被害の全容は明らかにならないであろう。

起請文を手管として容認できるか

棟梁は「騙されるのを覚悟で遊びに行っている」などと、遊女が客を騙すこと自体には寛容な姿勢を見せている。

棟梁の主張としては「遊ぶ人間を騙すんなら、腕で騙しやがれ」と言っているように、「起請文を複数人に書くのはやり過ぎだ」ということだろう。

信心深い者にとっては、神への誓いを乱発したり、簡単に破ったりということは禁忌であると考えるだろうが、その神を信仰していない者にとっては、さして重要なことではない。

「嘘で起請を書くときは、熊野の烏が三羽死ぬ」と棟梁から聞かされた喜瀬川は、「あら、そんなに死ぬの?」と応じており、起請文がどのような意味を持つものかを知らなかった、あるいは信仰心を持っていなかったと考えられる。

手軽に買えた起請文

また、杉浦日向子の『江戸へようこそ』によれば、「吉原には、この熊野誓詞を売りに来ている行商人がいて、手軽に買えた」とある。*5

騙された男たちは可哀想だが、手練手管の1つとして、起請文は一般的に使われていたようである。

喜瀬川のミス

喜瀬川の最大のミスは、清さんから限界以上の金を引き出してしまったことだ。「三日にあげず」通わせたのはまだしも、義理の悪い借金ができたと言って金を工面させたのはやり過ぎだったと言える。

清さんは妹の衣類を質屋に入れさせ、給金を前借りさせてまで作った金を喜瀬川に渡した。これは明らかに限界を超えている。いわゆる「パンク」という状態に陥ったと言えるだろう。

また、清さんは「騙された自分はいいが、妹が不憫だ」というようなことを言っており、それがなければ、仕返しをしようということにはならなかった可能性が高い。

苦界であり夢の世界でもある吉原

「あたしにはね、大枚のお金が掛かっているんだ。」

居直った喜瀬川が男達に向けて発する言葉だ。さらに、続けて次のように言う。 

「そんなにあたしを殴りたいか。身請けしろ。身請けしてから好きなようにすりゃいいじゃないか。」

自分の身体が自分のものではいという悲しさが伝わってくる。

もしも、身請けとなれば、莫大な借金を一度に返済する必要があり、事実上は妓楼からそのお大尽に所有権が移転したも同然だと言えるだろう。

我が身さえ他人の物なのだ。それを捧げるという約束など、実態のない約束であり、数ある手練手管のうちの1つに過ぎない・・・遊女がそのように考えたとしても、責めることはできないのではないだろうか。

七明け

無事に年季が明ければ、晴れて自由の身になるわけであるから、その気もないのに、年季明け後の結婚を約束をするのは、厳密に言えば婚約不履行と言えるだろうが、喜瀬川には何かそうせざるを得ない事情があったのかも知れない。

榎本滋民の『落語ことば・事柄辞典』に、以下のような記述がある。

官許の遊里吉原の遊女は、十八歳から十年(満九年)の年季が二十七歳で明ける、「七明け」が通常 *6

清さんと亥のさんの会話から、喜瀬川の年齢は28歳であること分かり、起請文に「来年三月年季が明け候えば」とあることから、29歳での年季明けということになる。

上記の「通常」が続いていたとすれば、喜瀬川は「通常」よりも2年遅い年季明けということになる。

なかなか客が付かない年齢になっていたと考えられ、起請文で客を繋ぎ止めるしかなかったのかも知れない。

真があって運のつき

杉浦日向子は先にも挙げた『江戸へようこそ』の中で、「傾城に真があって運のつき」という諺とともに、次にように述べている。

夢は醒めなければ夢とはいえません。夢の提供者の遊女が、「惚れていんす」を本気でささやいた時は、遊びではなく、愛欲の地獄に落ちなくてはなりません。

3人の男にとっては、喜瀬川が本気でなくて、かえって良かったのかも知れない。

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