廓噺を聴く度に夫が映画『吉原炎上 *1 』の話をするので、妻も気になっていたところ、アマゾンのプライム・ビデオで会員特典対象になっていたので、正月休みに視聴してみた。(正月に夫婦で観るような映画か?)
確かに印象に残る映画だね。
そして、廓噺の聴き方が少し変わるかもね・・・ってなわけで、映画を観ているうちに思い浮かんだ廓噺について書いてみようと思う。
【この記事の目次】
『吉原炎上』と廓噺
Wikipedia によると、『吉原炎上』のセットは資料に基づいてかなりリアルに作られたらしい。
また、吉原や廓全般についての知識も得られるので、落語好きなら一度観ておいて損は無いと思う。
五人廻し
例えば「廻し」。主人公の久乃に遣り手のおちかが、「ほれ、あれが廻しというやつさ」と、実際に行われている場面を指差して説明している。
これが、あの『五人廻し』で有名な「廻し」というやつか。
夏の章
そう、『五人廻し』。もう少し物語が進んで、夏の章。
久乃改め若汐になった主人公に付いた客、古島財閥の御曹子が派手に金を遣っている裏で、夏の章のヒロインである吉里が毒づく台詞が「なぁにが古島財閥の若さんだよ。ぶら下げてるもん、おんなじじゃねぇかよ!」というもの。
『五人廻し』に通じるものがあるように思う。
『五人廻し』で、様々なタイプの客が、「廻し」を取る花魁に待たされた挙げ句に言うのが「玉代返せ」という同じ台詞。「ぶら下げてるものは同じ」ってことでしょ?
それをストレートに訴えるのが『吉原炎上』、嗤ってしまうのが『五人廻し』ってことなんじゃないかな。*2
三枚起請
さらに進み、夏の章の終盤で吉里が叫ぶ台詞、「どいつもこいつも、女郎の上前撥ねて喰ってやがるくせに! あたしの身体、食いもんにしてやがるくせに!」。
楽しく聴けなくなるかも
『三枚起請』は、三人の男達に注目すれば滑稽な噺なんだけど、遊女の方に注目すれば、面白いだけの噺ではなくなってしまう。
『吉原炎上』で、あんなに初心だった久乃が、若汐、さらに紫と名を変えて花魁道中をするまでに変貌していく様子を見ると、『三枚起請』の喜瀬川だって、もしかしたら、最初は普通の女の子だったのかも知れないなぁ・・・と同情したくなる。
幾代餅
『吉原炎上』は辛い結末を迎えるヒロインばかり描かれている。
前述の夏の章だけでなく、秋の章の小花の最後も壮絶だし、冬の章の菊川は、一旦は幸せを掴んだはずなのに・・・と切なくなる。せめて菊川だけでも幸せになってくれると良かったんだけど。
春の章のヒロインである九重ぐらいが引き際を誤らなかったような印象で、どのヒロインも可哀想すぎる。
『幾代餅』みたいなケースは無かったのかなぁ・・・『幾代餅』も楽しく聴けなくなってしまうのかなぁ・・・と思ってしまったのだけど、『落語ことば・事柄辞典 *4 』によれば、幾代は実在の人物で、落語の描写とは相違点があるようだけど、本当に身請けされて餅を売ったらしい。
物語になっているということは、珍しいケースだったのだろうと推測できるのだけど、少しは救いになるかな。
まとめ
というわけで、『吉原炎上』を観ると、滑稽ははずの廓噺が面白いだけじゃなくなっちゃうかもよ・・・という話でした。
*2:横道に逸れてしまうので脚注に書いておくと、同様の例として夫は『戦略大作戦』という映画を思い出す。戦争を題材としたコメディーなんだけど、見方を変えると、戦争そのものの愚かさを嗤っているようにも感じられると思う。(戦略大作戦 - Wikipedia)
*3:その後のお墓のシーンでは『お見立て』を思い出したけど、関連が薄いので割愛。
*4: 落語ことば・事柄辞典 (角川ソフィア文庫) [ 榎本 滋民 ]