うちは夫婦2人とも酒を飲まない。というか、体質的に飲めない。
でも、酒の噺はけっこう好きだ。
柳亭市馬のDVD *1 に添えられた文章の中で、長井好弘は「酒が飲めない噺家は、どんな了見で酒の噺を演じるのか」と問いかけ、柳亭市馬の「こうなれたらいいなという願望」という言葉を紹介している。
だったら、下戸が酒の噺を楽しんで聴いてもいいじゃないか。
いかにも飲みそうな柳家権太楼だって『厩火事 *2 』の枕で「飲まない」と言っているし。
権太楼と言えば、『試し酒』が入っているCD *3 も持っていたな。
というわけで、『試し酒』について書いてみたい。
【この記事の目次】
『試し酒』は誰が何を試す酒なのか
今回、考えたのはこの噺の題名について。
落語、特に古典落語ですけど、ぞろっぺいな題が多いんですよ。(略)元々が、楽屋うちでの覚えのためのものだったから・・・・・・
『寝床』『代り目』はモロに落げだし、(略)赤ん坊をほめるから『子ほめ』(略)なんて単純すぎ。
古典的な新作
『試し酒』は成立時期から新作落語に分類されるが、「時代設定や世界観などは古典落語を模している *5 」。
では、題名の付け方も古典落語的と言えるのだろうか。
誰が何を試すのか
この噺の概要をあえて書くと、「二人の旦那が大酒飲みの下男を呼び出し、五升の酒を飲み干せるかどうかの賭けをする」という内容だ。
つまり、「下男が五升の酒を飲めるかどうかを旦那が試す」という意味の「試し酒」だと言える。
赤ん坊をほめるから『子ほめ』、旦那が下男を試す酒だから『試し酒』という具合だ。「単純すぎ」という意味の「ぞろっぺい」だと言えるだろう。
ちなみに、1升は約1.8リットルなので、5升となると約9リットル。相当な量だ。
それを下男は1升の杯で飲んでいくのだが、当然ながら段々苦しくなっていき、最後の方ではかなり苦労して飲むことになる。
そのあたりを上手く演じてくれると、観客から自然に中手(拍手)が起きるのだが *6 、それは、試し、試される関係が強く印象づけられている証しだと言えるだろう。
ダブル・ミーニング
ところが、『試し酒』にはもう1つの意味がある。
「試されているはずの下男が、実はあることを試していた」というサゲが待っているのだ。*7
その「あること」を試すという意味での『試し酒』と考えれば、「モロに落げ」であるとも言えるだろう。
「ぞろっぺい」が「ぞろっぺい」を隠す
つまり、旦那が下男を試す酒だから『試し酒』という「単純すぎ」な「ぞろっぺい」であると思わせることで、「モロに落げ」という「ぞろっぺい」を覆い隠していると言える。
ダブル・ミーニングのような凝った題名だと、普通は古典落語的とは言えないはずなのに、『試し酒』という題名が古典的な雰囲気を漂わせているのは、2つの意味を1つひとつ個別に見ると「ぞろっぺい」な印象があるからではないだろうか。
『試し酒』は題名の点でも「古典的な新作」と言えると思う。
*1:本格 本寸法 ビクター落語会 柳亭市馬 其の壱 猫の災難/茶の湯 [DVD]
*3:
*6:冷静に考えると不思議なことだと思う。演技が上手いからという理由ではなく、「よくやった!」という気持ちで拍手をしてしまうからだ。実際は1滴も飲んでいないのに。
*7:多くの落語家に継承され、もはや古典と言って良さそうなくらい古典的になっている噺なので、今さらサゲを伏せておく必要もなさそうだが、念のため、はっきりさせずに「あること」としておこう。