『百川』という噺でずっと気になっていたことがありました。
百兵衛が着ている羽織がどのような役割を果たしたのかということです。
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【この記事の目次】
『百川』の羽織について
今頃『百川』なんて、時季はずれ感は否めませんが、今年の三社祭は10月になったようですし、細かいことはまあいいでしょう。
さて、『百川』の何が気になるのかというと、羽織について矛盾した解説があるような気がすることなんです。
『日本大百科全書(ニッポニカ)』には以下のようにあります。
最初の日にたまたま羽織を着ていたため、河岸(かし)の若い衆が飲んでいる2階の部屋へ用を聞きに行かされ(百川(ヒャクセン)とは - コトバンク)
一方、『新版 落語の名作 あらすじ100』には以下のような記述があります。
勤めの初日で百兵衛が羽織を着ていることも勘違いに拍車をかけ、どうやら本当に四神剣の掛け合いにきた人だと思い込んだ様子だ(新版 落語の名作 あらすじ100)
あれ? 羽織を着ているから2階へ行かされて、羽織を着ているから勘違いに拍車をかけた? 矛盾してない? どちらかが間違ってるの? と考えたわけです。
羽織とは
Wikipedia で「羽織」を調べると、以下のようにありました。
丈の短い着物の一種。防寒・礼装などの目的から、長着・小袖の上にはおって着る。(羽織 - Wikipedia)
『百川』は、百兵衛が口入れ屋の紹介で初めて奉公先を訪れたのですから、目的は「礼装」であったと考えてもいいでしょう。
江戸時代の三社祭は今より時期が早かったようですが、旧暦3月とのことなので、「防寒」の可能性は低そうです。*1
羽織を着たままの百兵衛
柳家さん喬の『百川』では、当面の仕事内容が説明された後、百兵衛が羽織を脱ごうとしている様子が窺えます。*2
百川の主人が「羽織は取らなくていいよ。羽織、着たままでいいから。」と言っていることから、百兵衛が羽織を脱ごうとしているのを、主人が制止したものと推測できます。
羽織を脱ぐ目的が礼儀のためなのか仕事のためなのかは不明ですが、いずれにしろ、前述の台詞からは、「脱ぐのが標準だが、その義務を果たさなくてよい」と言っているように解釈できます。
ともかく、百兵衛は羽織を着たままということになりました。
しかし、この後、百兵衛が2階へ遣わされる場面。柳家さん喬の口演では、「羽織を着ていて都合が良いから」というような描写はありません。
他の落語家の口演にはそのような描写があるのでしょうか。
ネットで検索してみると、柳家喜多八がそのような演じ方をしているらしいことが分かりました。
たまたま羽織を着ていたため河岸の若い衆がいる部屋へ用を聞きに行かされてしまいます(柳家喜多八|百川 | ラジオデイズ)
勘違いの要因
河岸の若い衆は、御用を聞きに訪れた百兵衛を奉公人だとは思わず、言葉の行き違いから、「四神剣の掛け合い人」であると解釈します。
その際、「羽織が勘違いに拍車をかけた」というような描写をしている口演を私はまだ聞いたことがないのですが、「千字寄席」では以下のように記述されています。
そこへ突然、羽織を着た得体の知れない男が「うひぇッ」と奇声を発して上がってきたから一同びっくり(百川 ももかわ | 落語あらすじ事典 web千字寄席)
この記述からすると、羽織も勘違いの要因の1つとなっているように思えます。
どちらも正しいとすると
冒頭引用した2つの資料のどちらかが間違っているという可能性もありますが、誤りを記載するということはそうそう無いように思います。
また、これまで見てきたように、双方ともそれぞれを補強する材料が見つかりました。
そこで、どちらも正しいと仮定すると、どういうことが考えられるか、仮説を立ててみました。
仮説
- 勤めの初日なので、百兵衛は礼装として羽織を着ていた。
- 女中の代わりに御用を聞きに行かせるには、礼装である羽織を着ているのは都合が良かったので、百兵衛を遣わした。(『日本大百科全書(ニッポニカ)』の記述)
- 河岸の若い衆からすると、礼装で従業員が御用を聞きに来るとは考えにくく、「隣町からの掛け合い人」であるという勘違いに拍車をかけた。(『新版 落語の名作 あらすじ100』の記述)
このように考えると、2つの説明が矛盾しません。
2と3のどちらか、あるいは両方が省略されたとしても、ストーリー上は矛盾が生じるわけではないので、割愛して演じる落語家が多いということなのかも知れませんね。