今年もサマージャンボ宝くじが外れたようなので、『水屋の富』を聴いてみた。*1
この噺、「分不相応な富を得ても、新たな悩みの種になるだけだよね」という風に慰めるのにはいいのだが、もしも次に買う宝くじが当たった時に、水屋の清兵衛さんと同じ運命を辿ってしまうのは何としても避けたい。
というわけで、清兵衛さんの失敗を分析しておくことにした。
※ ネタバレしているのでご注意を。
【この記事の目次】
『水屋の富』の失敗を分析する
清兵衛の行動のどこに問題があったのか、結末の方からさかのぼるようにして分析していきたい。
不審な行動
清兵衛は、富くじの当せんで手に入れた八百両という大金を、長屋の向かいに住む男に盗まれてしまう。
その男が大金の存在に気付くきっかけとなったのが、清兵衛の不審な行動だ。
竹竿
清兵衛は縁の下に吊すように八百両を隠しておいた。
それが盗まれていないことを確認するために、竹竿で縁の下を探るのが日課となっていたのだが、端から見ると、これは明らかに不審な行動である。
その様子を見た男が「これは何かあるに違いない」と考え、八百両を発見するに至るのであるから、この行動は明らかな失敗であったと言える。
隠し場所
清兵衛がそのような不審な行動を取ることになったのは、八百両の隠し場所を縁の下にしてしまったせいである。
清兵衛は八百両をどこに隠すかをさんざん迷った挙げ句、畳を上げて、根太板(床板)をはがし、縁の下に吊すことにした。
そのために八百両の存在を簡単に確認できなくなり、竹竿で確認するしかなくなったのである。
隠し場所を選定する際は、他人には分かりにくい場所であると同時に、容易に存在を確認できる場所であることも条件に入れるべきだったのだろう。
貧乏長屋の計
しかし、セキュリティが極めて脆弱な長屋において、そのような条件を満たす場所があるのだろうか。
事実、向かいの男はいとも容易く清兵衛の家に侵入し、八百両を盗み出してしまった。
そんな「がばがばなセキュリティ」の長屋においては、それを逆手に取るという方法もあり得たのではないだろうか。即ち「空城の計 *2」ならぬ「貧乏長屋の計」である。
清兵衛は泥棒の行動をシミュレーションしながら隠し場所の検討をしている。その際、「この家に金目のものなんてありゃしねぇだろうなぁ・・・」と考えるであろうと泥棒の心理を予測した。それに従えば、最初に思いついた押し入れの柳行李でも十分だったのではないだろうか。
ただし、清兵衛が無意識に「八百両、八百両」と呟いてしまうこと、富くじが当たって八百両を受領したところを知人に見られていた可能性を否定できないことなどを考えれば、決して安心とはいえないのだが。
疑心暗鬼
これまで見てきたような清兵衛の失敗は、セキュリティが極めて強固な「銀行」という預け先が存在する現代では起こりにくいだろう。
しかし、清兵衛がこれらの行動を取るに至った要因を考えると、類似の失敗は現代でも決して無縁であるとは言い切れないのではないだろうか。
その要因とは「疑心暗鬼」である。
清兵衛が前述のように泥棒の心理を予測しながらも、その予測に従うことができなかったのは、「でも、ひょっとしたら・・・」の呪縛にとらわれてしまったからだ。
現代でも
例えば、「当せん金を預けた銀行の通帳と印鑑が盗まれたらどうしよう」と心配になり、それらを肌身離さず持つ。そして、それらを「ひったくりに奪われたらどうしよう」と心配すれば、かえって貴重品を持っていると知らせるような行動になってしまい、強盗に奪われたり脅されたりすることになるかも知れない。
現在志向バイアス
もう少しさかのぼってみよう。
清兵衛は八百両を元手に商売を始めようと考えたのだが、水屋の後任を見つけることができず、幾日も悪夢にうなされることになった。
それが水屋の掟だからなのか、飲用水というインフラを担っているという責任感からなのか、いずれにしろ、なかなか水屋を辞められずに八百両を隠し続けなければならない状況に陥ってしまった。
それを回避するチャンスが、実は当せん直後の選択にあったのだ。
来春なら千両
一番富に当せんした直後、重大な決断が待っていた。
「今すぐ受領するなら立て替え料が引かれて八百両、来春なら千両」と言われた清兵衛は、迷わずに「今すぐ八百両」を選択してしまった。
これは、「現在志向バイアス」あるいは「確実志向バイアス」にとらわれてしまったからだと言える。
を分かりやすい言葉で言い換えると「貧乏体質」ということになろうか。
もしも、来春にしておけば、二百両多く手に入れられただけでなく、後任を探すための猶予期間も得られたことになる。
清兵衛がもしも冷静に判断できていれば・・・まぁ面白い噺にはならなかっただろう。
失敗の種
清兵衛のこの失敗から、「貧乏体質」に陥らないようにすべきだという教訓が得られた。
しかし、清兵衛の失敗の根本的な原因はもっと前にあったと思われる。
無欲だった清兵衛
さらにさかのぼってみると、冒頭、清兵衛は「ある時、友達から無理矢理、湯島天神の富くじを1枚買わされた」との説明がある。
つまり、清兵衛は元々は一攫千金を夢見てなどいなかったのだ。
無欲だった清兵衛が、「欲」というものにとらわれてしまったことが、不幸の始まりだったと言える。
疑心暗鬼に陥り、悪夢にうなされる生活は清兵衛のにとっては不幸だったと言えるだろう。
八百両を失った直後の「今日はゆっくり寝られらぁ」というひと言に漂う安堵感がそれを示している。
高額当せん金に備えて
さて、これで清兵衛の失敗の本質に迫ることができた。
ならば、我々は同じ轍を踏まぬようにするために、どのように行動するべきか。
1つの選択肢としては、宝くじを買わないことだ。
現代の若者の多くが実践している方法である。
一方、どうしても宝くじを買いたい人はどうすればよいか。
心配しなくても、清兵衛との決定的な違いがあるので、きっと大丈夫だろう。
私たちは宝くじを無理矢理買わされているわけではない。
つまり、清兵衛と違って、最初から欲にまみれているのだ。
だから大丈夫。
そして、当せん後は長期的な視点で安心できるところに運用を任せて・・・
というわけで、また宝くじを買ってこようっと。