『明烏』を聴いていたら、4種類の「遊び」が描かれていることに気付いた、というそれだけの話だが、よろしければ、しばしお付き合い願いたい。*1
『明烏』の4つの「遊び」
「遊び」を辞書で調べてみると、第1に「遊ぶこと」とある。*2
「遊ぶ」を名詞化したものということだろう。
そこで「遊ぶ」を調べると、「スポーツ・趣味など好きなことをして楽しい時間を過ごす」と「飲酒・色事・ギャンブルなどに身を入れる」の2つが該当しそうだ。*3
だが、このままだと抽象度が高すぎるので、もう少し具体的に、4つに分けてみよう。
子どもの「遊び」
冒頭、帰宅した時次郎は、どこへ行っていたかと尋ねる父親に、祭礼で「太鼓を叩いた」ことと「大食いの勝負」をしたことを報告する。
「遊びも知らない世間知らずでは安心して跡を継がせられない」と心配している父親は、その報告を聞いてあきれてしまうのだが、ここで父親が問題視しているのは、遊びの内容そのものではなく、「子どもと張り合った」というところだと思われる。
もしも、「どこかの師匠について太鼓の腕を磨いている」というのであれば、道楽の1つとして父親は安心できただろう。
大食いにしても、「酒の席でどこそこの若旦那と張り合った」ということであれば、父親にとっては問題が無いはずだ。
年端もいかぬ子ども達と張り合い、勝利したことを得意気に報告しているようでは、父親の懸念は深まるばかりである。
参詣の「遊び」
「少しは遊びを覚えておくれ」と願う父親に対して、それならば、と時次郎は「お稲荷さんへの参詣」を申し出る。
実はこの「お稲荷さん」は、父親の依頼を受けた「遊び人」の二人が、堅物の時次郎を連れ出すために「吉原」を「お稲荷さん」と偽っているのだが、その嘘を信じ込んでいる時次郎が、そこへ「遊びに行きたい」と言うのだ。
江戸の人々にとって、寺社への参詣は娯楽を兼ねたものだったのだろう・・・と最初は思ったのだが、パワースポットとして訪れたり、御朱印をスタンプラリーのように集めたりする人がいることを思えば、現代においても娯楽の一種と言えるのかもしれない。
酒を飲む「遊び」
さて、吉原の大見世では、飲酒と色事はひと続きであり、辞書的にも「飲酒・色事・ギャンブルなど」と1つにまとめられているが、ここでは2つに分けて考えたい。
時次郎を「お稲荷さん」へと送り出す前に、父親は「遊び人」の二人が「酒を召し上がるだろう」と予想し、その席でのマナーを時次郎に教える。
それを素直に聞く時次郎は、この時点ではそれが吉原の「遊び」につながるものだとは考えていない。
当たり前のことではあるが、酒を飲んだからといって、必ずしも色事に結びつくわけではないだろう。
吉原の「遊び」
ただし、「巫女の家」だと騙されて時次郎が誘い込まれたのは、吉原の「茶屋」であり、その先には時次郎が嫌悪する「遊び」が待っている。一部の男性にとっては夢の「遊び」なのだが。
その「遊び」とは・・・これ以上はあえて書く必要もないだろう。
というわけで、今日はこの辺で。