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勝手に梅雨明け宣言

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ようやく青空が戻ってきました。

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つい数日前までは暖房を使うほど肌寒かったのに、昨日、今日と晴天が続き、気温がぐんと上がって急に夏になったようです。

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エゾニワトコに降り注ぐ日差しも強くなり、赤い実が輝いて見えます。

これはもう、宣言してしまいましょう。

我が家の周辺は「梅雨明け」したようです。

 

・・・と、勝手な宣言を出してしまいましたが、誰かに怒られたりしないですよね。

気象予報士でもないのに予報業務をしてはいけない!」とか。

でも、気象庁は「梅雨明け」の定義を設けていないようなので、たぶんセーフでしょう。*1

っていうか、そもそも「北海道には梅雨がない *2 」とされているので、「梅雨明け」もなにもないんですけどね。

 

でも、この1ヶ月余りの天気は、「梅雨だった」と言ってもいいのではないでしょうか。

蝦夷梅雨」という言葉もありますが、もはや「蝦夷」の冠を外してもいいと思うんですよ。

たしかに本格的な「梅雨」のような蒸し暑さはなくて、むしろ寒くて困るぐらいでしたけど、こんなに長雨が続いたら、「蝦夷梅雨」とは呼べないような気がしてきます。*3

気象庁では「梅雨」を「晩春から夏にかけて雨や曇りの日が多く現れる期間」と定義しているみたいで、これだと気温については言及されていません。*4

ということは、「梅雨」の条件を十分に満たしていたと言えるんじゃないでしょうか。

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・・・なんて、ごちゃごちゃと書いてきましたが、そもそも「梅雨だ」とか「梅雨じゃない」とか、「明けた」とか「まだ明けてない」とか、そんなことを言うのに、なんでこんなに気を遣わなくてはならないのでしょう。

 

元々「梅雨」っていうのは生活から生まれた言葉なのではないでしょうか。

気象学なんていうものが存在しない時代に、農耕や生活の必要性から生まれた言葉なのではないかと想像します。

 

気象学で統計を取ったりするためには定義が必要でしょうけど、そこで定義されたからといって、私たちの生活までそれに縛られる必要はないはずです。

気象庁が防災のための注意喚起として「梅雨入り・梅雨明け」を発表する *5 のは大事なことだと思いますが、だからといって、私たちが日々の生活の中で感じる「梅雨明け」が規制されているわけではありませんよね。

 

気象庁ならば、ある程度経過を見てから「梅雨明け」の速報を発表したり、場合によっては発表後に修正したりすることも必要でしょうが *6 、一般市民ならば、肌で感じるままに「梅雨明け」だと思っても構わないんじゃないでしょうか。

 

・・・と書いているうちに、雨が降ってきました。

これは「梅雨明け」宣言を撤回しなければならないか?

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