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なぜ柳家さん喬が演じる『夢の酒』のお花は可愛らしいのか

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『夢の酒』は、いわずとしれた「黒門町の師匠」桂文楽の十八番。文楽が作り上げた噺といってもいい、自家薬籠中のネタだった。

柳家さん喬15夢の酒/妾馬 *1 』の「解題」で、長井好弘はこのように述べ、さらに、柳家さん喬の言葉として、以下のように紹介している。

「今もやる人はいるけど、(略)その噺が元々持っていた空気のようなものを大事にしない。どうしてみんな、先人の『色』を受け継ごうとしないのでしょう」

確かに、『夢の酒』でネット検索をすると、八代目桂文楽の動画がすぐに見つかる。そして、他の演者のものと聴き比べてみると、そのほとんどが文楽が演じた台詞を踏襲しているにも関わらず、「空気のようなもの」は随分違って感じられる。

一方で、さん喬のものは、台詞の差異は多いのに、「色」のようなものは文楽と似ているように感じられる。

その要因は、(長井も述べているのだが)「お花の可愛らしさ」と「大旦那の優しさ」にあると考えている。

そこで、今回は特に「お花の可愛らしさ」に注目し、さん喬がそれをどのように生み出しているのかを考えたい。*2

【この記事の目次】

なぜ柳家さん喬が演じる『夢の酒』のお花は可愛らしいのか

さん喬の「お花」で目立つのは、息を吐くのも忘れて、若旦那の不行状を大旦那に訴える場面だろう。しかしながら、それが「可愛らしさ」の源泉になっているとは考えられない。ここに至るまでのお花の様子と、その変化の仕方がお花を可愛らしい人物に感じさせるのではないだろうか。

お花の感情の変化

風邪を「心配」

昼寝をしている若旦那をお花が起こそうとする場面から『夢の酒』の噺は始まる。この冒頭の場面、演者によっては「怒り」を露わにする演じ方をしているのだが、さん喬のお花は柔らかい声で「風邪引いちまいますよ」と「心配」している様子を表し、「怒り」はかなり控えめに演じている。

以下、その後のお花の感情の変化を、さん喬の演じ方で追ってみよう。

夢の内容に「興味」

なかなか起きない若旦那に「イライラ」したのか、お花は少し強い口調で若旦那を起こす。しかし、すぐに柔らかな口調に戻り、夢の内容に「興味」を持って聞きだそうとする。

談笑に参加できない「疎外感」

渋る若旦那に対してお花は、店で使用人や客と談笑する若旦那の様子を持ち出し、自分にも楽しい話をして欲しいと訴える。「疎外感」のような気持ちだろうか。

雨に降られた若旦那を「心配」

「(夢の中で)向島を歩いていると、雨がざっと降り出した」ということを聞いたお花は「あぁら、大変」という言葉を漏らし、若旦那を「心配」している。夢の中の話に対してさえ、このような感情を示すお花は、「共感性」が極めて高いと言えるだろう。

雨宿りで「安心」

その後、(夢の中で)運良く雨宿りできたという若旦那に、「良かったじゃありませんか」と明るい口調で相づちを打ち、「心配」が解消されて「安心」した様子が窺える。さらに、(夢の中で)女中に親切にされたという若旦那に「あらまぁ、親切な方」と応じていることから、ここでも高い「共感性」を示している。

ご新造さんに「嫉妬」

ここまで急激な変化が無かったお花の感情が大きく動き出すのが、若旦那が(夢の中の)ご新造さんの美しさを描写し始めるときだ。明らかに「嫉妬」の感情が芽生え、急激に高まっていくように感じられる。

酒をのむ若旦那に「怒り」

そして、飲めないはずの酒を、(夢の中で)ご新造さんに勧められて飲んでしまう若旦那に対して、お花の語調はかなり強くなる。「怒り」と言ってもいいだろう。

色香に迷う若旦那に感情が「爆発」

その後も(夢の中の)ご新造さんの行動について語り続ける若旦那に対して、お花の「怒り」は高まり続け、ついに、(夢の中で)若旦那が寝る布団の裾にご新造さんが滑り込もうとするところで、お花の感情が「爆発」する。

変化をまとめると・・・

ここまでのお花の気持ちの変化を視覚化するために、グラフを作成してみた。*3

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その時々の最も優位なもので繋いでみると、

心配→興味→疎外感→心配→興味→嫉妬→怒り→怒り爆発

となる。

お花の人物像

爆発に至るまでの感情の変化から浮かび上がるお花の人物像は、

  • 若旦那との談笑に参加できない疎外感を常日頃から感じており、
  • 若旦那の身を案じ、
  • 若旦那が美しさを誉める女性に嫉妬し、
  • 誘惑に負ける若旦那に怒りを爆発させる人物

ということになろう。

「嫉妬」や「怒り」は若旦那への親愛の裏返しとも言える。そして、「共感性が高い」という特徴も相まって、お花の「可愛らしさ」を感じさせてくれるのだ。

自家薬籠中のもの

文楽のお花と比較すると、さん喬の方がよく喋る。つまり、文楽は台詞ではないものでお花の可愛らしさを表現していることになるが、それをもってさん喬の『夢の酒』は完成度が低いと見なすことはできないだろう。

台詞をなぞるだけでは、単なる模倣で終わる。さん喬のお花は、女性の表現が得意なさん喬ならではの工夫と言えるだろう。

さん喬は、文楽が作り上げた『夢の酒』の「空気のようなもの」を大事にし「色」を受け継ぎつつ、「自家薬籠中のもの」にしたと言えるのではないだろうか。

落語のような表現は、ある水準を超えたものについては、「優劣」ではなく「好みの違い」で論じられるものだと思う。そして我々は、さん喬の「夢の酒」が好きだ。

 

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*1:柳家さん喬15 夢の酒/妾馬 [ 柳家さん喬 ]楽天

*2:『夢の酒』のあらすじについては こちら を参照のこと。

*3:このグラフは当研究会の独自の見解である。特に各項目の数値には、異論があるだろうが、1つの見解としてご容赦いただきたい。平たくいうと「間違ってても勘弁してね」ということである。

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