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『夢の酒』の若旦那が妻であるお花の怒りを避けるためのシナリオ分岐点を探ってみた

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寝床』の記事をずいぶん書いた気がするので、そろそろ他の噺について書こうかと思う。寝床で見るのは夢ってことで、『夢の酒』について書いてみよう。

なお、例によって、基本的に柳家さん喬の口演に準拠していることを申し添えておく。*1

【この記事の目次】

『夢の酒』の若旦那が妻であるお花の怒りを避けるためのシナリオ分岐点を探ってみた

『夢の酒』とは

『夢の酒』とは、若旦那が見た夢の話を聞いていた妻のお花が、夢の中の女に嫉妬して・・・という噺だ。

若旦那は、(夢の中の出来事とは言え)美人に誘惑されたという話を、あろうことか妻に話してしまう。そのために妻が怒り、物語が展開していくわけだが、ここではあえて、若旦那が妻を怒らせないという選択肢があり得たのかを考えてみたい。

現実世界と夢の世界

この噺は現実世界と夢の世界を行ったり来たりする。若旦那が現実世界で取り得る行動と、夢の世界で取り得る行動の両方を考察する必要がある。

現実世界での分岐点

前半に出てくる夢の世界は、若旦那がお花に語ることで間接的に描かれているものである。つまり、若旦那は夢の内容を語らないという選択肢も考えられるし、改変して伝えるという可能性も考えられる。まずは、若旦那がそのような選択肢を取り得たのかを考えてみよう。

正直な若旦那

若旦那は根が正直なため、「嘘を付くことはできないだろう」というのが、当研究会の見解だ。その根拠は、お花が夢の出来事に対して怒っている事情を知った大旦那が若旦那に向けて言ったひと言にある。

大旦那のひと言

「なんだって、そういう手間のかかる夢を見るんだ。」

これは、理不尽な小言として笑いを誘うひと言であるのだが、同時に大旦那が正直を美徳とする人物であり、若旦那にもそれを求めてきたであろうことが窺えるひと言でもある。

普通であれば、「なぜ、正直に話したのか」とでも言いそうなものだが、それでは嘘をつくことを奨励することになってしまう。このような状況においてさえ、正直に話したことを責めないということは、正直を美徳としていることの証左と言えるのではないだろうか。

若旦那は、初めのうちは「夢など見ていない」と誤魔化そうとするのだが、嘘を付くことに慣れていないため、ついつい正直に話し始めてしまったと考えられる。

「話さない」という選択肢はあるか

正直が美徳であれば、嘘を付くことはできない。つまり内容を改変することはできないのだが、「何でもかんでも話さない」というのは嘘を付くことにはならない。

しかしながら、お花は興味津々で聴いているため、お花が質問をすれば正直に答えざるを得ない。隠し通すことは難しかったであろうと考えられる。

夢の内容を覚えていなければ・・・

夢というものは一瞬で忘れるものだし、見たことさえ忘れてしまう可能性があるが、それを自分の意志でコントロールするのは難しいので、どちらのシナリオに進むかは「運次第」ということになる。*2

夢の世界での分岐点

現実世界で怒りを回避することが難しいとすれば、夢の世界での行動を変えるしかない。若旦那はどこのシナリオ分岐点で選択ミスをしたのだろうか。遡ってみよう。

布団の裾へすーっと・・・

若旦那は、飲めないはずの酒を飲んだせいか、頭が痛くなって布団に横になっている。そして「私の布団の裾へご新造さんがすーっと・・・」と若旦那が語るところで、お花の怒りが爆発するのだが、ここでの若旦那は受動的な立場であるし、この段階に至って突然お花が怒り始めたというわけではないので、分岐点はもう少し手前にあると考えられる。

飲めないはずの酒

若旦那は本来は酒を飲めず、三度の食事よりも酒を好むという父を快く思っていないのだが、ご新造さんに勧められるままに酒を飲んでしまう。それを聞いたお花の口調は明らかに怒りを増していることが窺える。

「綺麗な人」

もう1つ前の段階に、若旦那がご新造さんを描写する場面がある。若旦那は「世の中にこんな綺麗な人がいるものかと思うくらい、綺麗だったね」と、ご新造さんの美しさを褒め称えるのだが、それによってお花の態度がそれまでの「通常」モードから「怒り」のモードへと変化してしまう。ここからお花の怒りが始まったのだ。

ポイント・オブ・ノー・リターン

では、お花の怒りに関して、後戻りができない段階、「ポイント・オブ・ノー・リターン」はどこにあるのか。お花の怒りを3段階で整理し直すと、次のようになる。

  1. ご新造さんの美しさを描写する→怒りに火が付く
  2. 飲めないはずの酒を飲む→怒りが燃え上がる
  3. 布団の裾へすーっと・・・→怒りが爆発する

この分析から、若旦那のポイント・オブ・ノー・リターンは第2段階であったと考えられる。

第1段階の選択ミスは、その後の誘惑に負けなければ、充分に取り戻すことが可能だ。「ご新造さんは美しい女性であったが、若旦那は誘惑されなかった」→「お花の方が魅力的だ」と解釈することが可能になるからだ。ここで鎮火できれば、小火ぼや程度で済んだはずだ。

しかし、第2段階のミスは取り返しがつかない。「誘惑に負けた」という事実は極めて重大であるからだ。仮に第3段階で若旦那が断固拒否できたとしても、お花の怒りを収めるのは非常に難しくなるだろう。

この種の怒りは、一度炎上してしまうと、鎮火には多大な労力を要する。爆発まで至らなかったとしても、後々まで尾を引くことになるのは間違いない。

結論

お花の怒りを鎮めるためには、若旦那は酒を飲むべきではなかったということが明らかになった。

しかし、若旦那が酒を飲んでくれないと、この噺は面白くも何ともない話になるわけであり、ここまで真剣に論じてきたことは、まぁ、まったくの無駄というこである。しかしながら、「下らないことを真剣に」が当研究会のモットーなので、何卒ご容赦の程を願いたい。

こんな長い記事に最後までお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。

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次回予告

次回、「『夢の酒』の夢は『胡蝶の夢』か」。乞うご期待。

 

*1:柳家さん喬15 夢の酒/妾馬 [ 柳家さん喬 ]楽天

*2:ここで「俺は夢なんざ見てねぇ」と言えれば、別のシナリオに進むことになる。その場合、夢の内容をどうしても聞きたい者との間で大げんかになり、仲裁に入った者も夢の内容を聞きたがり・・・・・・と、「天狗裁き」シナリオが待っている。プレーヤーにとっては、より困難なシナリオだと言えるだろう。

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