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しろのブログ

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『夢の酒』の夢は「胡蝶の夢」か

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前回、ちょっとした気まぐれで「次回予告」なんて書いてしまったものだから、 このタイトルで書かなければならなくなってしまった。

書きたいと思っていたことのはずなのに、いざ書き始めようとすると、義務感のようなものが邪魔をして、書くのが億劫になってしまう。(だからと言って、書くからには手は抜きませんよ。)

ホール落語とかで、あらかじめ演目を発表するのを嫌がる落語家の気持ち *1 が少し分かったような気がした。気のせいかも知れないけど。

【この記事の目次】

『夢の酒』の夢は「胡蝶の夢」か

胡蝶の夢」とは、要するに「夢の中の自分が現実か現実の方が夢なのか」という話だ。*2

夢の酒」は夢と現実を行ったり来たりする噺なので、「胡蝶の夢」という言葉が思い浮かんだというだけの話なのだが、少々大げさなタイトルになってしまったかもしれない。

お花の懸念は杞憂か

夢の世界と簡単に往き来することができない世界に生きている我々にとって、若旦那の夢を現実のことのように捉えるお花の言動は滑稽に感じられる。

夢に登場したご新造さんに嫉妬し、夢の中で起こり得る事件を予測して、お店の行く末まで案じてしまうなど、無用な心配をしているようにしか思えないのだが、もしも、噺の中の世界に身を置いたとすれば、お花の懸念を杞憂だとしてわらうことはできないのではないだろうか。

ここからは、「噺の中の世界」に身を投じて考えてみよう。なお、「この世界」に戻ってくるまでは、文章中の「現実」は「噺の中の世界での現実」を意味することとする。

また、今回も基本的に柳家さん喬の口演に準拠して考察する。*3

夢が現実に与える影響

夢の中での出来事は現実に影響を与えないのだろうか。

お花に起こされて現実に戻った若旦那は、夢の体験の余韻に浸り、ご新造さんがいかに美しかったかを妻に向かって話してしまう。また、若旦那同様、お花によって現実に引き戻された大旦那は、冷や酒を拒んだことを後悔する言葉を漏らしている。

お花に起こされた二人は、夢の中での記憶を保持した状態で現実に戻ってきた。そして、その記憶は感情に作用し、現実での言動にまで影響を与えてしまっているのだ。

現実から夢への働きかけ

一方、現実から夢の中へ働きかけることも可能である。淡島様の上の句を詠んで念じれば、特定の人間が見た夢の中へ入り込むことができるのだ。この方法でお花は若旦那が見た夢の中へ大旦那を送り込むことに成功している。

また、大旦那が夢の中へと入り込んだのは、若旦那が現実へと戻った後の時点であるため、夢の中でも現実と同様の時間の経過があることが分かる。

改めて、お花の懸念は杞憂か

以上のことを踏まえると、お花の懸念は決して杞憂とは言えないだろう。

若旦那は妻が怒ることを半ば予測しながらも、黙っていることができずにご新造さんの美しさを語ってしまった。ということは、他の誰かにも夢の中での体験を話してしまうだろう。

若旦那についてお花が「お店の若い人たちと面白い話して、げらげらげらげら笑って、お客さんが来ればお客さんとまた話して」と描写していることから、若旦那が話し好きであることが窺え、その可能性は極めて高いと言える。

そして、その後に起こり得る事象を予測してみると、以下のようになるだろう。

 一 ご新造さんに興味を持つ者が現れる。

 二 その人物が夢の中に入り込む。

 三 お花が懸念していた事件が起こる。あるいは起こっていた。

 四 その事件を見聞きした者が現実に戻る。

 五 その記憶が感情に作用し、言動に影響する。

 六 大黒屋の悪評が広まり、商いに支障が出る。

三段階目の蓋然性

上記予測の三段階目の事象がお花の懸念の核心であろう。問題はその事件が起こり得るかどうかだが、お花の勘の鋭さを考慮すると、その蓋然性は高いと考えてもいいだろう。

お花の勘の鋭さ

お花は若旦那と大旦那の二人を夢の中から呼び戻した。若旦那の場合は女の色香、大旦那の場合は酒という違いはあるが、二人ともご新造さんの誘惑に負けてしまう寸前で呼び戻されたことは共通している。

虫の知らせとでも言おうか、見えないはずの夢の中で男達が完全に籠絡されるのを、すんでの所で防いだことになるのだ。この危機管理能力は大黒屋のおかみさんとなるに相応しい資質と言えるだろう。

懸念を現実にしないために

お花が懸念を訴えた時点では、誘惑を食い止めたのは若旦那だけであるため、大旦那が訴えを聞き入れた理由は別にあると思われるのだが、理由はどうあれ、荒唐無稽に思えるお花の訴えを聞き入れた大旦那もまた、大店を仕切るのに相応しい器だと言って良いだろう。

ただし、ご新造さんの手管の方が一枚上手で、大旦那は酒の誘惑に陥落してしまうところだったが。

この上は、男性に対処を任せず、お花が直接対決に臨む以外に、事件を未然に防ぐ手立てはないだろう。

この世界の片隅で

そろそろ「この世界」に戻ろう。

我々が住む「この世界」は、(少なくとも今のところ)夢の世界に意図的に入り込むことはできない。従って、お花の懸念は杞憂に思えるのだが、それとよく似た構造を発見することができる。それは、現実と仮想現実の関係だ。

『夢の酒』における2つの世界と同様、現実と仮想現実はパラレルワールドのように平行して存在している。その2つを往き来している我々は、一方の領域での出来事がもう一方の領域と相互に影響し合うということを心に留めておく必要があるだろう。*4

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次回予告はやめておこう

次に書きたいことは決まっているのだけど、ここに書いてしまうと変なプレッシャーになりそうなので、やめておこう。ホール落語より寄席のスタイルの方が性に合っているようなので。

 

*1:柳家さん喬は『『大工調べ』2013年1月19日「柳家さん喬独演会vol.13」深川江戸資料館小劇場にて収録』(Amazon)の枕の中で「この頃は、プログラムに演目なぞを書き添えさせて頂きますと、何となく、やらなきゃいけないんだな・・・と思うんですね。やっぱりネタは出すべきではないんだと・・・」と述べている。

*2:胡蝶の夢 - Wikipedia(外部リンク)

*3:柳家さん喬15 夢の酒/妾馬 [ 柳家さん喬 ]』(楽天

*4:攻殻機動隊 (ヤングマガジンKCDX) [ 士郎正宗 ]』(楽天)の第3話に「疑似体験も夢も存在する情報は全て現実・・でありまたなんだ・・・」という台詞がある。西暦2029年に内務省公安9課の責任者を務める人物と同様の感覚を、お花は備えていたと言うことができよう。また、先の台詞に続けて主人公の草薙素子は「小説や映画が人を変えるように?」という言葉を発している。「落語もまた人を変える現実であり幻である」と言うことができるだろう。

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