上手い落語家が演じる落語は、予備知識が無くても充分に面白いのだけど、一般教養レベルのほんのちょっとした知識があれば、より面白く聴けると思う。
例えば柳家さん喬の『棒鱈 *1 』は、何も知らずに聴いても楽しめるぐらい上手いのだけど、時代設定ぐらいは考えてみた方が、より楽しめるのではないだろうか。
この噺の設定年代は、恐らく幕末から明治初期にかけてではないかと思われる。
登場する「侍」の言葉や唄から、薩摩出身であることが窺え、薩摩出身の「侍」が江戸で幅を利かせているとしたら、恐らくその頃であろうと推定できるからだ。
現代の感覚でこの噺を捉えてしまうと、「東京の人間が田舎者を馬鹿にしている」ことになってしまい、面白みが欠ける。
「財力や権力を笠に着て、我が物顔に振る舞う『侍』に対して、庶民が啖呵を切る」という風に見る方が、落語らしい面白さを味わえるのではないだろうか。
これぐらいのことを知っていれば、『棒鱈』は充分に楽しめるはずなのだが、柳家さん喬の『棒鱈』をさらに楽しむために、もう少し深く侍の人物像を掘り下げみようと思う。
より正確に言うと、「柳家さん喬が『侍』の人物像をどう捉えているか」あるいは「観客に対して、どのような人物であると思わせようとしているか」ということになるかも知れない。
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【この記事の目次】
柳家さん喬が演じる『棒鱈』の「侍」の人物像を推定してみる
この「侍」、悪い人ではなさどうなのだが、どうも良い印象を持てない。
現代の職場によくいるような「悪い人ではないんだけどねぇ・・・」と言われてしまうような、無神経な上司のような印象だ。
なぜ、そのような印象になるのだろうか。
無粋な「侍」
「隣の座敷、また芸者へぇったみたいだな・・・」という酔っぱらいの台詞から、「侍」は1人で何人もの芸者を呼んでいることが分かる。
しかしながら、この「侍」は遊び慣れているとは思えず、それが反感を買う原因の1つになっていると思われる。
棒読みの台詞
棒読みに聞こえる「侍」の台詞が2つある。これはもちろん、さん喬が下手なのではなく、意図的に棒読みにしていると考えられる。
1つ目はお酌をしようという芸者に対して発する「おはんのように、めんこいあまっこに酌をしてもらうてぇと、酒が2倍も3倍も美味くなるたい」という台詞だ。
恐らく、それ以前に参加した宴席において、遊び慣れている誰かが発した言葉を、そのまま真似してみたのだろう。もしかしたら、大井、大森、蒲田、川崎、五反田のうちの誰かかも知れない。
また、芸者が「まぁ、恐い恐い、この頃すっかりお遊びにお慣れになって」と応じていることからも、あまり遊び慣れていないことが窺える。
もう1つは、後半、酔っぱらいが乱入した後に発する「人間が降ってくる天気でもあんめぇし」という台詞だ。
これは、場を和ませようとする善意から発せられたものと考えられるが、板に付いているとは思えない言い方であるため、かえって酔っぱらいを怒らせてしまう。
三味線なんざぁ要らんたい
少し時間を戻して、「赤べろべろの醤油漬け」の後の場面を考えよう。
「侍」は芸者から「お声を」と求められ、それが唄のことであると知らずに雄叫びをあげてしまう。
そして、改めて唄を求める芸者に対して「三味線なんざぁ、要らんたい」と言い、「百舌鳥の嘴」を唄い終わった後には、「難しい唄だ」と言う芸者に対して、「よかったら、おはんたちも覚えて座敷で歌え」と言う。
この一連の会話により、「侍」が三味線に合わせて唄うことができない、遊びに不慣れな人物であることが窺え、同時に江戸の文化に対して敬意を払っていない様子が感じられる。
郷土の文化に誇りを持つのは良いのだが、異文化に対して敬意を払えないのであれば、傲慢だと受け取られても仕方がないだろう。
そこで、次は「侍」の傲慢さについて考えてみたい。
傲慢な「侍」
さらに時間を戻して、「侍」が登場した直後の場面を振り返ってみよう。
倉も土蔵も同じようなもんたい
しばらく顔を見せなかった「侍」に、どこで遊んでいたのかを芸者が聞くと、「侍」は「倉相模」と応え、芸者が「土蔵相模」ではないかと訂正する。
「土蔵相模」とは、「当時、品川でも有数の規模を誇った妓楼 *2 」らしく、それを言い間違えるということは、遊びに不慣れであることを示しているのだが、それよりも不快感を招くのが後に続く「倉も土蔵も同じようなもんたい」という台詞だ。
良く言えば、豪放磊落(ごうほうらいらく)なのだが、自身の郷土にある名店を相手が間違えた場合に言うのならともかく、その逆の場合に「同じようなもの」と言ってしまうのは、無神経だと思われても仕方がないのではないだろうか。
現代に置き換えると
まとめると、この「侍」は「遊びに不慣れなくせに遊び慣れたふりをし、異文化に対して敬意を払わず、自身の誤りに寛容な人物」だと言えるのではないか。
現代に置き換えると、「やたら知ったかぶりをし、何かと自分の価値観を他人に押しつけようとする無神経な上司」が思い浮かばないだろうか。
*1:
- アーティスト: 柳家 さん喬
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