Wikipedia では、『三枚起請』に登場する男3人を抽象化して「A」「B」「C」と表している *1 。東西や演者によって、名前に違いがあるためだ。
しかし、実際に噺を聴く際には、当然ではあるが、もう少し具体性を帯びた人物像を思い浮かべた方が楽しめるだろう。3人の人物像を具体的にすることで、その3人を騙した遊女の手管の巧妙さが浮き彫りになるからだ。
Wikipedia には、東京において「B」を「建具屋の半公」とする例が挙げられているが *2 、「若旦那の亥のさん」とすることも多いように思う。
実を言うと「建具屋の半公」としているのを聴いたことがないので、人物像に違いがあるのかは定かではないが、いつか聴いた時に備えて、柳家さん喬の口演 *3 から「若旦那の亥のさん」の人物像を推定しておきたいと思う。
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【この記事の目次】
柳家さん喬が演じる『三枚起請』の「B」(=「若旦那の亥のさん」)
柳家さん喬の『三枚起請』を聴きながら、「若旦那の亥のさん」の人物像を推定できるポイントを順に拾っていこうと思う。
推定可能ポイント
立派な身代
息子の過ぎた遊びに困っていると愚痴をこぼしていった亥のさんの母親を案じた棟梁が、その遊びを諫めるためにまず発する台詞が「あれだけの立派な身代だ。お前の代で潰すようなことしちゃいけねぇ」である。
「裕福な商家の若旦那」であるという描写だ。*4
しろか、くろか
博打はやめろと諭す棟梁に対して、亥のさんは自分の関心事は博打ではなく女であると明かす。それを聞いた棟梁が尋ねる言葉が「しろか、くろか」である。
これは、素人の女か玄人の女か、つまり、遊女であるのか否かを尋ねているのだが、亥のさんは犬か何かのことだと思ったらしく「ぶちなんです」と答えてしまう。
恐らくは、遊び慣れた者であれば分かるはずの隠語を理解しない、つまり「遊び慣れていない」という描写だ。
とんぼ釣り
おしゃべりの清公が通りかかり、棟梁は行き掛かり上、亥のさんが女に騙されたことを暴露していまう。それを聞いた清公が発する台詞が「ついこないだまでとんぼ釣りしていたんだもん」である。
これ以前にも棟梁の「お前みてぇな子ども」という台詞があるのだが、より具体的なのはこちらの方だろう。
『明烏 *5 』の時次郎が「十九にもなって大門がどちらを向いているかも知らない」と描写されていることから、その年頃になれば、吉原で遊んだことがあるか、少なくともある程度の知識を有しているのが一般的なのであろう。
これらのことから年齢を推定するとすれば、「二十歳前後」といったところか。
もう一枚
起請文を読んだ清公は、自分も同じ女に騙されていることに思い至る。確認のために女の特徴を問いただす清公に向けて亥のさんは「(起請文が)もう一枚出る?」と問い返し、清公を逆上させるきっかけを作ってしまう。
「空気を読まない」というのは、お坊ちゃん特有の性格だろうか。
犬の起請
遊女を懲らしめるために3人で吉原へ向かう途中、1匹の雌犬と3匹の雄犬が歩いているのを見た亥のさんがいう台詞が「あの後ろの3匹も前の雌犬から起請をもらったかしら」である。
騙されたことを悲しみながらも、どこか「自分達を客観視」しているという、これも育ちの良いお坊ちゃんらしい性格に感じられる。
丁子が三本
丁子が立ったのは棟梁が来てくれるという吉兆であったのだと語る遊女の言葉を聞いた亥のさんが言うのが「丁子が三本立ったかしら」という冗談だ。
犬の起請と同じく、どこか他人事であるかのような反応だが、このような時でも諧謔の精神を忘れない「陽気な性格」であると言えるのではないだろうか。
あの娘を打つなら
いよいよ遊女がやって来るという段になり、「張り倒してやるんだ」と興奮する清公に対し、亥のさんは「あの娘を打っちゃいけない。あの娘を打つならわたしをお打ち」と言う。
ここまで来ても遊女の身を案じる「優しい性格」の持ち主であると言えるだろう。「お人好し」と言ってもいいかも知れない。
水瓶のおまんま粒
これまでのことを総合すると、亥のさんは「ちょっと空気を読まないけど、陽気で気の良い初心なお坊ちゃん」ということになろう。*6
しかし、そのような亥のさんでさえも、自らの容姿を揶揄する「水瓶に落っこった、おまんまっ粒」という遊女の言葉に対しては「何だこのやろう!」と逆上してしまう。
滑稽な場面なのだが、可哀想な亥のさん、ひどい遊女、と感じさせる場面でもある。
強かな遊女
こんな初心な若旦那を騙し、棟梁から詰め寄られると簡単に斬り捨て、本人が現れると態度を翻して「色が白くて綺麗」などと誉める遊女。
(強かな女だなぁ)と思うのだけど、遊女の側にもそうせざるを得ない事情があるようで・・・という哀しい話でもあるんだよなぁ、『三枚起請』って。
*2:『汲みたて(汲みたて - Wikipedia)』という噺などで「建具屋の半公」は、「確かに美男子で、女にモテそうな感じ」と表現されている。名前が同じだからといって、同一人物なわけではないが、落語においては、名前とその人物像がある程度紐付けられていることが多く、「建具屋の半公」もその可能性がある。仮に『三枚起請』において「B」を「モテる男」とした場合、そのような男さえも騙す遊女の手管を印象づけようとする意図があるのかも知れないが、他の2人よりも大人で、人気の職業に就いている「棟梁」にその役割を担わせることが可能であるため、キャラクターが重複する可能性が生じるだろう。
*3:
*4:因みに、終盤、棟梁が遊女に「起請文は何枚書くのか」と迫る場面で、棟梁は「本所の古道具屋の若旦那」と説明している。志ん朝などは「唐物屋(とうぶつや)」としており、差異があるのだが、手元の辞書によれば、「からものや」と読んだ場合には「古道具屋」の意味も持つようである。一方、『日本大百科全書(ニッポニカ)(唐物屋(カラモノヤ)とは - コトバンク)』によれば、「とうぶつや」の項に「18世紀には古道具屋の別名ともなった」とあり、同一のものである可能性もある。いずれにしろ、あまり忙しくない、のんびりした商家なのではないかと推測される。
*5:
- アーティスト: 柳家 さん喬
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*6:ここまで分析してみて気付いたのだが、ここに取り上げた描写は一見同じような描写に見えて、それぞれが異なる役割を果たしている。そこで興味が湧くのが、これらはそれを意図して作られたものなのか、それとも自然にそうなっているのかである。意図的だとすれば見事な業だと思うし、そうでないのならば、人物の造形がしっかりしているために、自然と多面的な描写になったものと考えられる。そのどちらにしろ、この噺が傑作であり、柳家さん喬が名人であることの証左の1つであると言えるだろう。