『猫の皿』という噺が好きで、録画してある「えほん寄席」を時々観ていたのだが、柳家小三治のCDを見つけたので購入してみた。*1
枕がなんと39分21秒もある。
小三治の枕を期待している人なら満足だろうけど、飛ばしちゃう人もいるかもしれないなぁ・・・と思いながら聴いていたのだけど、本当に飛ばしてしまうのはもったいない。
せめて33分10秒あたりから、できればもう少し手前から聴き始めたほうがいいと思う。
そのあたりが小三治特有の枕と一般的な枕との境目のような気がする。
どうせ切り分けるなら、枕の中でも2つ以上のトラックに分けたほうが良かったのではないだろうか。
それはさておき、いつものように下らないことを考えてみたので、文章化しておこうと思う。(いつものようにネタバレしているので、ご注意を。)
【この記事の目次】
『猫の皿』の買い手はどこで誤ったか
『猫の皿』というのは・・・田舎を回って骨董品を安く買い叩き、江戸で高く売って儲けようという男。たまたま立ち寄った茶店でふと見ると、猫が貴重な皿を餌皿にして食べているではないか。男は一計を案じ・・・という噺で、最後は落語らしく男の企みは頓挫するわけだが、この買い手の失敗はどこにあったのだろうか。結末のほうから遡って考えてみよう。
猫の価格交渉
男は「皿などは気に留めていない」というふりをしながら、可愛くもない猫を三両で譲り受けようとする。その上で、餌皿も合わせて引き取りたいと申し出たところ、茶店の主人から「大事な皿なので譲れない」と断られてしまう。
もしも、最初から「猫と皿を一緒に」という価格交渉であったなら、主人に皿を売る意思があるのか、売るとしたら希望価格はいくらなのかが早い段階で判明したはずである。
猫だけの価格交渉をしたのは失敗だったのではないか。
猫好きのふり
男は猫が好きなわけでもないのに、猫好きのふりをする。「猫を譲り受けたい」というでっちあげのストーリーにリアリティを持たせるためである。
しかし、それは猫の価格上昇をもたらすことになる。猫の譲渡にあまり乗り気ではない主人に対して、その猫を気に入ってしまったのでどうしても譲り受けたいという買い手が交渉すれば、売り手が有利になるのは当然だろう。
猫好きのふりをしたのは失敗だったのではないか。
計画立案
そもそも、本来は皿を手に入れたいのにそれをおくびにも出さず、猫好きでもないのに猫が欲しいふりをして、皿をせしめようとしたのが間違いだったのではないか。
最初から皿にターゲットを絞って交渉を始めれば、好きでもない猫に三両を払うようなことにはならなかったはずだ。
猫をだしにしようとしたのは失敗だったのではないか。
経営姿勢
いや、もっと遡れば、男の経営姿勢に問題があると言えるだろう。
冒頭、男は「このごろの百姓は疑り深くなり、なかなか商売が上手くいかない」というような嘆きを呟いている。
本来は価値のある品物を安く買い叩くようなやり方は、たとえ最初は上手くいったとしても、そう長く続けられるものではないのではないだろうか。
「俺達が入ってくるってぇと、この辺の百姓どもが頭のてっぺんから足の先までじろじろっと見やがって、臭せぇなって顔をするからなぁ・・・」という台詞から、同業者が多数回っていることが窺える。
百姓の側も知恵を付けて、簡単には騙されなくなっていくのも当然だろう。
無知な百姓を騙して安く買い叩こうという姿勢が誤りだったのではないか。
男に必要だったのは公正な取引の精神だったのではないだろうか。*2