『百川』についていくつか記事を書いているうちに、その登場人物である百兵衛を中心に据えて書きたくなった。
百兵衛は、河岸の若い衆が言うように抜けているのだろうか。抜けているとしたら、どれくらい抜けているのだろうか。
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※ 細かい部分については、柳家さん喬の口演に準拠しています。*1
【この記事の目次】
『百川』で「抜け作」だと罵られた百兵衛を弁護してみる
百兵衛は、その独特のイントネーションから、間抜けな人物とみなされがちだと思う。しかし、『百川』で起きた騒動は、ミスコミュニケーションが主な原因であり、百兵衛の過失が元であるとは考えられない。
田舎で暮らしている我々としては、「椋鳥 *2 」などと馬鹿にされている百兵衛の側に立ち、弁護してみようと思う。
四神剣の掛け合い人
序盤、百兵衛が「主人家の抱え人」と自己紹介したところ、河岸の若い衆の一人で初五郎と名乗る者が「四神剣の掛け合い人」であると早合点してしまう。
百兵衛は、試用期間や研修なども経ずに、いきなり接客の仕事を任されてしまい、精一杯の丁寧な挨拶をしたに過ぎない。それを誤って解釈したのは、若い衆の側に問題がある。
方言が問題ではない
ただし、方言を解さなかったことを問題視しているわけではない。それでは、方言を蔑む態度の裏返しになるだけだからだ。
初五郎の後ろめたさ
初五郎は、「四神剣」についての後ろめたさを抱えていたために、勘違いをしてしまう素地があったと考えられる。方言が要因の1つであったことは確かだが、落ち着いて確認をすれば、すぐにその誤りに気付いたはずであり、勝手にどんどん話を進めてしまった初五郎の側に責任があると考えるのが妥当だろう。
公正な判断
実はこの点については、若い衆の側も百兵衛を責めてはいない。真相が明らかになった後、「いい加減なことをぬかしやがって」と怒る者がいるが、その対象は百兵衛ではなく、勘違いをした仲間に対してである。公正な判断をしていると言えるだろう。*3
かの字の付く名高い人
中盤、百兵衛が「掛け合い人」ではなく「抱え人」であるとが明らかになった後、若い衆は百兵衛に命じて「常磐津の歌女文字」なる人物を呼びに行かせようとする。
それが元でもう1つの騒動が起こり、百兵衛が「抜けている」と責められることになるのだが、百兵衛は抜けていたのだろうか。
記憶の限界
田舎から出てきたばかりで江戸に慣れていない百兵衛にとっては、「長谷川町」「三光新道」という住所を覚えるのが精一杯で、「常磐津」「歌女文字」という耳慣れない言葉を同時に覚えるのは難しかったのであろう。
対応策
若い衆の方もそれを察知したようで、百兵衛が失念してしまった場合に備えた指示を出している。
百兵衛はその指示通りに「かの字の付く名高い人」を尋ねるのだが、親切な町人が「鴨池玄林」であると解釈してしまったため、門違いをしてしまう。
それは2人いた
百兵衛が名前を失念するというのは、想定された状況であり、「かの字の付く名高い人」が2人いることに気付かなかった若い衆の側の責任が大きいと言えるだろう。
おらの名前は「抜け作」ではねぇ
終盤、歌女文字を呼びに行かせたはずが、鴨池玄林が来てしまい、怒った若い衆が再び百兵衛を呼ぶ。
「抜け作」
百兵衛の行動が「抜け作 *4 」だと罵る若い衆に対して、百兵衛は「おらの名前は抜作ではねぇ」と応じてしまい、火に油を注ぐことになるのだが、これは百兵衛が抜けている故のことだと言ってよいものだろうか。
「抜け作」の「作」
「抜け作」の「作」は、人名めかして添えられた語であるため、人名と誤認したとしても仕方がないと言えるだろう。江戸と地方の間では文化の差異が現代よりも大きかった可能性が高く、「抜け作」という言葉を百兵衛が知らなかったとしても、責められる筋合いのものではない。
百兵衛のカウンター
このように考えてくると、百兵衛は若い衆が責めるほどに抜けているとは言えないだろう。
しかし、最後に1つ難問が残っている。
百兵衛の最後のひと言は、罵詈雑言を浴びせる若い衆への強烈なカウンターとなるのだが、これはカウンターを意図してのパンチなのか、たまたま手を出したのがカウンターになってしまったラッキーパンチなのか。
この問題は、はっきりと答えを出さない方がこの噺を楽しめると考えているので、この辺りでやめておきたい。
*1:
*2:江戸時代、田舎から江戸へ出てきた出稼ぎ労働者を「椋鳥」と呼んで揶揄していたとされる。『ムクドリ - Wikipedia(外部リンク)』
*3:あえて言うならば、このような状況を作り出してしまった「百川」の主人には責任があると言えるだろうが、百兵衛個人がその責めを負う必要はないだろう。
*4:「抜け作」とは間抜けな人をあざけっていう語。『ついでにとんちんかん』の「間抜作」のことではない。(ついでにとんちんかん - Wikipedia:外部リンク)