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『百川』における柳家さん喬の「ひゃくべっちゃす」問題

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先週、季節外れを承知で『百川』の記事を書いたのだが、*1 そのせいで書きたい気持ちを抑えきれなくなってしまったので、再び『百川』について書いてしまおう。

※『百川』のあらすじは ここをクリック(ネタバレ注意)してください。

『百川』における柳家さん喬の「ひゃくべっちゃす」問題

当研究会では、「ある落語家が好きかどうか」、あるいは、「ある噺が全体として好きかどうか」といったことについては、大抵は全会一致で結論が出るのだが(っていうか、2人だけだし)、細部については意見が割れることもある。

柳家さん喬が最も好きな落語家の1人であることは一致しているし、さん喬の『百川』*2 が傑作であるという点についても一致した意見を持っている。

しかし、さん喬のファンであるからといって、無条件に崇拝しているわけではなく、時には批判的な視点を交えて議論することもある。

その1つが「ひゃくべっちゃす」問題だ。

百兵衛の自己紹介

「ちょっくら、ごめんくだせぇやし」と言いながら、初めて百川を訪れた百兵衛が、主人に名を問われて答える場面。さん喬は「ひゃくべっちゃす」と演じている。

これは、「百兵衛っていいます」→「ひゃくべえっちいいやす」→「ひゃくべぇっちぃやす」→「ひゃくべっちゃす」のように転訛させたものと考えられる。

「ひゃくべっちゃす」は「やり過ぎ」か

これについて「やり過ぎ」ではないかというのが夫の意見だ。

相対的に妻よりも合理性を重視する夫の考えでは、ここまで変えてしまうと、元の言葉が分からなくなる可能性が高く、転訛と言える範囲を超えているのではないかというのだ。現に妻は夫の見解を聞くまで、元の言葉(と思われるもの)に復原することができなかった。

ということは、『百川』の主人が「ひゃくべえ」という音をチャンクとして取り出すことも極めて難しいはずだ、とさらに夫は主張している。

他の落語家との比較

柳家小三治の場合

小三治の台詞を文字に起こすと「ひゃくべえっちやす」という感じになり、夫のイメージはこれに近い。*3

古今亭志ん朝の場合

志ん朝の台詞を文字に起こすと「ひゃくべえっちぃやす」という感じになり、*4 小三治のものとほとんど同じように見えてしまうが、文字化しにくい部分に差異があり、小三治よりも「ひゃくべえ」という音を聴き取りやすい。そのため、主人が聴き取れずに問い返すという描写をしていない。

古今亭志ん生の場合

志ん生は「百兵衛と申しやしてな」とかなりはっきりと発音しており、*5 当然、問い返す描写はない。*6

三遊亭圓生の場合

圓生の台詞を文字に起こすと「ひゃくべえっちゃ・・・」という感じで、*7 語尾はほとんど聴き取れない。しかし、「ひゃくべえ」は聴き取りやすい。

共通するポイントは2つ

これらを聴き比べてみたことで、「ひゃくべえ」の聴き取りやすさを左右するポイントが2つあることが分かった。

「ひゃく」にアクセントを置く

1つは「ひゃく」にアクセントを置くかどうかだ。「ひゃく」を少し高い音で発音すると、それにより、そのチャンクが人名であるということを認識しやすくなると考えられる。

「べ」の後に母音を入れる

もう1つは、「べ」の後に「え」という音を入れるかどうかだ。少し強めの「え」を入れることで、ここまでが1つのチャンクであるということを認識しやすくなると考えられる。

夫の望みと妻の好み

夫の望み

では、結局、夫は何を望んでいるのか。「ひゃくべっちゃす」をやめて欲しいのか。

夫としては、「ひゃくべっちゃす」の面白さも残しておきたいと考えている。そこで、百兵衛の台詞はもう少し名前として聴き取りやすくし、主人の問い返しでは思い切り「ひゃくべっちゃす」として欲しいというのが夫の望みだ。

文字の大きさで音の高さを表すとすると、以下のような感じになる。

百兵衛:ひゃくべっちゃす

主人:ひゃくべっちゃ

妻の好み

一方で、妻の好みはシンプルにひと言で表せる。

「面白いからこのままでいい」というものだ。

素人考え

夫のたわごとは、はっきり言って「素人考え」だ。しかし、素人だからこそ、怖いもの知らずで言えるということもあるだろう。

そして、もしも、素人が自由に意見を言えないような風潮があるとすれば、それは敷居の高い芸能であるということを意味するのではないか。

たとえ的外れな意見であろうとも、自由に意見を表明できる方が、落語の裾野を広げることにつながると思う。*8

好みの違い

もう1つ補足しておきたいのは、好みの違いについてだ。

夫の意見は、あくまで個人的な意見であって、たった2人だけで構成されている当研究会の統一見解でさえない。だから、この考えを押しつけようとする意図は全くないということを、念のため強調しておきたい。

現に夫は、「このままでいい」という妻の好みを尊重し、お互いの意見の違いを残したまま、さん喬の『百川』を一緒に楽しんでいる。

好みの違いは、無理に統一すべきものではないと考えている。

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*1:『百川』の「へーい」は誰の声なのか - tadashiro’s blog(内部リンク)

*2:百川』(外部リンク:Amazon

*3:落語名人会(31)?柳家小三治7 百川/厄払い』(外部リンクAmazon

*4:古今亭志ん朝 百川 - YouTube』(外部リンク)

*5:古今亭志ん生(五代目) 百川 - YouTube』(外部リンク)

*6:今回の議論とは関係ないが、こういう小さなところに親子の系譜が見出せるように思う。

*7:圓生 百川 - YouTube』(外部リンク)

*8:平たく言うと「怒らないでくださいね」ということです。

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