世間に漂う閉塞感から逃れるために、久々に柳家さん喬の『天狗裁き』を聴いた。*1
現実離れした馬鹿馬鹿しい物語にしばし逃避した後、この噺について以前から気になっていたことを考えてみた。
落語について考えている間は他のことを考えなくて済むので、これでさらに逃避を続けよう。
※ 『天狗裁き』のあらすじを確認したい方は ここをクリック してください。
【この記事の目次】
『天狗裁き』は「無限ループ」か
『天狗裁き』は、柳家さん喬のものがお気に入りで、何度も繰り返し聴いたために、他のを聴くと違和感を覚えるまでになってしまったのだけど、特に違和感があったのが「無限ループ」になっているもの。(落語的には「結末が、噺の最初に戻るもの」を「まわり落ち」と呼ぶらしい。*2 )
この噺って「無限ループ」になっているだろうか。
「無限ループ」になるか
違和感の原因は、単に「いつも聴いてるのと違う」というだけではない。
「無限ループ」にするには、物語の始まりと最後がまったく同じ状況であることが望ましいのだが、『天狗裁き』の場合は、少し違うのではないかと思ったからだ。
亭主の様子
冒頭、眠っている亭主は、女房の言葉によると「ニヤニヤ」している。
その後、亭主にはある災難が降りかかり、それがエスカレートしていくことになる。そして、仕舞いには命の危機を感じるまでになったところで女房に起こされるのだが、女房に起こされて以降は「ニヤニヤ」するような場面が出てこない。
最後の場面では、「うなされている」亭主を起こすことになるので、完全なループとはならないのではないだろうか。
2周目の展開
「うなされている」亭主を女房が起こした後、1周目と同じ展開になるという確信が持てない。
「ニヤニヤ」している場合に比べると、女房の興味を引く度合いが少し低くなるように思われるし、「女房に言えないような都合の悪い夢」という推測による嫉妬にも繋がりにくいような気がする。
完全な「無限ループ」にするには
最初と最後を全く同じにし、完全なループにするためには、冒頭を「うなされている」状態にするか、「ニヤニヤ」する場面を登場させる必要がある。
前述のように、冒頭部分を改変すると、その後の展開にスムーズに繋がらなくなる恐れがある。
ということは、「ニヤニヤ」の場面を作ることになるが・・・
羽団扇
実は『天狗裁き』は「長編落語『羽団扇』(演じ手は2代目三遊亭円歌など)の前半部分が独立して、一席の落語となった」ものらしい。*3
で、その『羽団扇』には「ニヤニヤ」しそうな場面が登場するのだ。*4
簡単に説明すると、『羽団扇』では、女房と喧嘩になった後、すぐに天狗が登場し、亭主が連れ去られる。亭主は言葉巧みに天狗から羽団扇を奪い、それを用いて天狗を置き去りにして脱出する。そして、七福神の船に舞い降り、弁天様の酌で寄って寝入ってしまうと・・・という感じだ。
しかし、これは「無限ループ」になっていない。
起こされた亭主が女房に夢の内容を話す場面が続き、七福神を使ったサゲもついているからだ。
『天狗裁き』とはだいぶ趣が違って感じられるなぁと思っていたら・・・
志ん生版『天狗裁き』
「千字寄席」に掲載されている『天狗裁き』のあらすじ *5 は、志ん生のものを元にしているようなのだが、それによると、後半に『羽団扇』の影響が色濃く残っているように思われる。
七福神の船ではなく大きな屋敷に舞い降りるのだが、天狗から羽団扇を騙し取って良い思いをするところは共通している。
これならば、「無限ループ」にしても自然になると思われるが・・・
米朝版『天狗裁き』
Wikipedia によると、『天狗裁き』の現在の演出は、「上方の3代目桂米朝が発掘・再構成し復活させたものによる」らしい。
即ち、後半の「羽団扇を騙し取って・・・」以降が大胆にカットされているのだ。*6
それにより、夫婦のちょっとした諍いから話が大袈裟になっていくエスカレーションに噺の焦点が定まるとともに、テンポの良さが生まれているのではないだろうか。
「柳家さん喬 名演集2 天狗裁き/妾馬」に付いている「演目解説」で、瀧口雅仁は次のように述べている。
さん喬演じる『天狗裁き』の方が、ストーリー性がより明確で、噺が進むにつれてボルテージが上がっていくために、聴いていて疲れない。(略)スピーディに噺が進んでいく。
「無限ループ」の必要性
志ん生版の方が「無限ループ」に向いていると思われるが、そのために演出を変える程のメリットがあると言えるかは分からない。
最初から志ん生版の演出を選択しているのであれば、「無限ループ」にしやすいだろうし、自然にそうなるかも知れない。
しかし、米朝版を「無限ループ」にすると、些細ではあるが齟齬が生じてしまうので、我々としては、米朝版を「無限ループ」にする必要性は薄いと考えている。
ただ、米朝版と志ん生版のどちらを好むかということと同じように、「無限ループ」を好むかどうかも単なる好みの違いと言えるかもしれない。
「無限ループ」の方がお好きという方は、適当に笑い飛ばしていただきたい。