tadashiro’s blog

しろのブログ

落語、北海道、野鳥など。

噺は足で覚えるんだ

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「耳で覚えちゃ駄目よ。噺はねぇ 足で覚えるんだ。」

NHK大河ドラマ「いだてん」の中で橘家円喬が弟子の美濃部孝蔵(後の古今亭志ん生)に言った台詞。その真意について志ん生は「浅草から日本橋、実際に歩いてみねぇとね。落語の中の人間の気持ちなんて分からなねぇと言いたかったんでしょうな、師匠は。」と語る。

当研究会の研究活動は、幼い頃からの落語ファンで年季が入っている夫がリードすることが多いのだけど、その夫がいつも苦しんでいるのが、江戸の土地勘がないこと。その点は東京生まれの妻が補っている。

北海道で生まれ育った夫は「浅草」とか「芝」とか言われても、おおよその位置も思い浮かばず、ましてやどんな雰囲気なのかなんて分かろうはずもない。

江戸から東京に変わったとはいっても、位置関係は当然変わらないし、街の雰囲気は連続的に変化してきているものだから、江戸の残り香は必ず残っているはずだ。

だから、極めて近いところで生活していた妻は、さほど苦労をせずに噺に没入することができる。

夢の酒」を聴いているときなど、「向島」という地名を耳にしただけでイメージが思い浮かぶ妻に対して、夫は話の筋から推測して想像上の「向島」というものを作り上げる作業が必要になる。夫の分析的に落語を聴く習慣は、そこに由来するのかも知れない。

他にも、柳家さん喬の噺には鉄道路線の駅名を使ったくすぐりが登場することがあるのだけど、妻は感じたままに笑い、夫はくすぐりであることを理解した後に笑う。

妻も夫もどちらも楽しいでいることには変わりないのだけど、夫は常々妻を羨ましく思っている。

だから、2人で東京に行くと、夫は落語に登場するような場所を歩きたがる。たまに古くからある通りを歩く機会があると、(妻にとっては)何の面白みもない普通の街並みに、道幅とか道路の曲がり具合とか距離感とか、北海道の道路と違うところを見つけてはいちいち興奮する夫。まるでブラタモリ

でも、落語に登場する場所っていうのは大抵は妻にとってはありきたりの場所なので、「せっかく2人で歩けるのに」とか「せっかく久し振りの東京に来たのに」とか言って、夫の希望が叶えられることはほとんどない。

夫、ちょっと可哀想かも。妻にとってはいまだに観光気分で楽しめる場所、夫にとっては子どもの頃から見慣れている場所にいつも車で連れて行ってくれるから。

今度、東京に行ったら、妻も訪れたことがないところ、例えば吉原とかなら一緒に歩いてあげてもいいかな。もちろん昼間に。

 

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