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『百川』の「へーい」は誰の声なのか

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三社祭の噺は季節外れだとは思うのだが、夏祭りの季節ということでご容赦いただきたい。

ということで、『百川』について以前から気になっていることを書こうと思う。

以前、「超入門!落語 THE MOVIE」について触れたときに、既に少しだけ書いたことなのだが *1 、「へーい」という台詞がずっと気になっていたので、ここで一度きちんと考えて、1つの記事にしてみることにした。

※『百川』のあらすじは ここをクリック(ネタバレ注意)してください。

【この記事の目次】

『百川』の「へーい」は誰の声なのか

 この疑問が生じたのは、「超入門!落語 THE MOVIE」で『百川』*2 を観てからだ。

『百川』では、二階の座敷から手を叩いて呼んでいる客に対して「へーい」と応える場面があるのだが、番組では、この声を百川の主人のものとして映像化していた。

それまで、「へーい」が主人の声だと思ったことは一度もなかったので、少なからず驚いたのだが、違うという確証も持っていなかったので、もやもやを抱えたまま、証拠を探し続けてきた。

いまだに確たる証拠は見出せていないのだが、いくつかの傍証から考えたことを、ひとまずの成果としてまとめておきたい。

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丁稚は「へーい」と返事をする

まずは、最も有力と思われる傍証を挙げておきたい。

面白くてよくわかる 新版 江戸の暮らし (学校で教えない教科書)Amazon)』にある「丁稚」の項に、

上役から「こどもーし」と呼ばれると「へーい」と返事をする

とある。

わざわざこのように書かれているということは、「へーい」が一般的な返事ではなく、「丁稚」に特有の返事の仕方であったと思われる。*3

これはかなり確証に近いと思うのだが、問題点がいくつかあり、決定的な証拠とは言えないでいる。

この傍証の問題点
  • 「上役から」呼ばれた場合の返事であると書かれており、客に対しても使っていたという確証はない。
  • 「上方商人」の「江戸店」についての記述であり、江戸の料亭にも当てはまるという確証はない。*4
  • 丁稚が使っている言葉だからといって、主人が使わないという確証にはならない。
  • 落語においては、必ずしも事実の通りに演じる必要はなく、登場人物を整理するために、主人の言葉として演じても構わない。

これらの問題点が考えられるため、さらに傍証を積み上げる。

黒船を饗するほどの名店

『百川』のモデルとなった「百川楼」という料亭は、黒船来航の際にペリー一行の饗応を幕府から命じられたほどの名店である。

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それほどの名店で、客からの呼び出しに主人が直接応えるということは考えにくい。

また、当然、店構えも立派であったはずなので、「二階の座敷」で手を叩いた音が、主人の耳にまで届くというのは不自然に思われる。

演じ方からの考察

通常、1つの『百川』の中で、1セットにつき1〜2回の「へーい」が、2セット以上発声される。

この「へーい」がどのように演じられているかを、複数の落語家で検証してみた。

共通点

どの落語家も、「へーい」の声の後で主人が「おやおや」とか「おいおい」というような反応を示す。反応の仕方は様々だが、順序は共通している。「へーい」→「おやおや」という順だ。

もしも主人が手の音に反応しているのであれば、「おやおや」→「へーい」の方が自然ではないだろうか。

また、手の音が主人に聞こえているのであれば、手を叩いて表現するのが自然であり、それを省略する合理的な理由が見つからない。

柳家さん喬

柳家さん喬の2セット目の「へーい」では、最後まで言い切らずに主人の台詞を被せている。

これは、主人ではない別の誰かが「へーい」を発声していることを表現しているものと推測できる。

百川

百川

 
柳家小三治

柳家小三治は2セット目で、1回目と2回目の「へーい」の間に、少し戸惑っているかのような表現を挟んでいる。文字に起こすと「へーい・・・・・・へ、へーい」というような演じ方だ。

これは、「へーい」と何度も呼びかけているのに、それに対する反応が返って来ないことに戸惑っているということを表現しているのではないだろうか。主人が発声しているのであれば、このような表現はしないと思われる。

落語名人会(31)?柳家小三治7 百川/厄払い

落語名人会(31)?柳家小三治7 百川/厄払い

 

結論とそこから生じる新たな疑問

以上のことから、我々は「へーい」は主人によるものではないと結論づけたい。

しかし、そうすると、別な疑問が生てしまう。

新たな疑問

「超入門!落語 THE MOVIE」で、柳亭市馬はどのような意図で演じたのかという問題だ。

市馬ともあろう人がそのようなミスをするとは思えないため、それが我々を悩ませてきたのだ。

そこで、改めて市馬の動画を検証してみると、「へーい」の後に主人が反応するという順序に関しては、我々の結論とは矛盾しない。

市馬1:https://youtu.be/rbDVD1qgTVk?t=72

市馬2:https://youtu.be/rbDVD1qgTVk?t=408

しかしながら、「へーい」そのものの演じ方については、どちらとも解釈可能なように見える。*5

いったい、どちらなのだろうか。

この点について、3つの仮説を挙げておきたい。

仮説1

仮説1:市馬は「へーい」は主人の声だと解釈している。

我々はいくつかの傍証から「へーい」が主人の声ではないと結論づけているが、異なる解釈だからといって、それを否定することはできない。

仮説2

仮説2:登場人物を整理、省略するために、「へーい」を主人のものとして演じた。

落語は事実の通りに演じる義務はなく、フィクションを交えても、あるいは全てフィクションであったとしても、何ら問題はない。

仮説3

仮説3:市馬は「へーい」を別人のものとして演じたが、番組スタッフが解釈を誤った。

仮説1、2であれば問題はないが、この仮説が正しいとすれば、問題である。

出来上がった映像を、演じた本人に検証してもらうことを省略したか、本人が検証を怠ったかのどちらかということになるからだ。

柳亭市馬は好きな落語家の1人なので、後者でないことを願いたい。

これが今の限界

いずれにしろ、どの仮説が正しいか、あるいはどれも間違っているのかは、関係者に直接聞いてみるしか確認の方法がない。

我々としては、素人にできる最大限のことをやったと考えている。

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*1:「超入門!落語 THE MOVIE」の「掛け取り」を振り返りながら「3」について考える - tadashiro’s blog(内部リンク)

*2:【百川】 柳亭市馬 - YouTube(外部リンク)

*3:ちなみに、同じ『百川』の中で百兵衛が医者の鴨池玄林を訪ねた際は、取り次ぎの者が「どうれ」と返事をしている。職種や階級によって、返事の仕方が固定化されていたのではないだろうか。

*4:ちなみに「丁稚」というのは、主に上方で使われる用語であり、江戸の言葉では「小僧」に相当する。

*5:ちなみに、他の落語家との比較では、圓生のものに近いように見える。

圓生1:https://youtu.be/NOqzMLRdjjQ?t=343
圓生2:https://youtu.be/NOqzMLRdjjQ?t=374
圓生3:https://youtu.be/NOqzMLRdjjQ?t=1375

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