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『鼠穴』の兄弟を経営という観点から考察してみる

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昨今の東出ブームに乗っかって、昨年末に再放送された「落語ディーパー」で取り上げられていた『鼠穴』について書いてみようと思う。

あらすじをまとめるのは大変そうだし、ネタバレに気を遣わないといけない噺でもあるので、取り敢えずあらすじは書かずに、聴いたことがある方が読むことを前提で。(後半にネタバレがあるのでご注意を)

ちなみに、うちがベースにしているのは柳家さん喬の口演。*1

【この記事の目次】

『鼠穴』の兄弟を経営という観点から考察してみる

この噺、普通は弟の方に感情移入して聴くと思うので、弟が可哀想に感じられると思うのだけど、ちょっと見方を変えると、弟が金を出してもらえなかったのは当然じゃないかと思えてくる。

甘い見通し

兄を訪ねた弟は、奉公人として自分を使って欲しいと兄に頼み込むが、その目的は蓄財して田地田畑を取り戻そうというものだ。

その頼みは兄に断られてしまうのだが、それには合理的な説明がなされている。

茶屋酒で散財して手放すことになった田地田畑を取り戻すのに、奉公人の報酬ではとても追い付くものではないという兄の説明はもっともだ。

また、弟は他の奉公人と同様に働くと言うが、奉公人は主人の身内にはどうしても気を遣ってしまうものであり、同様に働くことなど不可能だというのももっともである。

そうなることを見越しての依頼であるとすれば考えが甘すぎるし、予見できていなかったとすれば、世間知らずもいいところだ。

仮に奉公したとしても、将来の暖簾分けの際に必要となる知見を得ることは適わないだろう。

浪費癖

兄は弟に対して、雇用する代わりに、起業のための事業資金を融資するのだが、それがたったの三文という額だ。

その理由については、十年後に金を返しに行くまで明らかにはされないが、後になされる兄の説明はもっともと言う他ない。

茶屋酒に散財してしまい、しかも甘い見通しで雇用を願う弟に対して大金を渡せば、すぐに浪費してしまうであろうと考えるのは、極めて合理的な予測だと言えるだろう。

商売の基本

「安く仕入れ、高く売る」というのは商売の基本のひとつだろう。

たった三文でも、仕入れることが可能な品があるのであれば、それに付加価値を付けて利ざやを稼ぐことで商売になる。

僅かでも利益が出れば、仕入れを増やしたり、他の品を仕入れたりする、つまり新たな投資に回せば、利益が利益を生む好循環を作り出せるだろう。

兄の三文はその商売の基本を教えたことになり、一時的に大金を渡すより遥かに効果が高かったと言える。

「飢えている人に魚を与えるか釣り方を教えるか」という選択で、兄は「釣り方」を選んだということだ。

事業再建

さて、この後は、もしも現実だったとしたら・・・という話だ。

火災が元で財産を失ってしまった弟は、再び兄を訪ねて事業資金の提供を依頼するが断られてしまう。

確かに兄は非情な人物に思えるのだが、経営的には妥当な判断と言えるのではないだろうか。

弟は火災で資産や商品を全て失ったにも関わらず、再建のための有効な手立てを打ったとは思えないからだ。

経営者に求められる決断力

大きくなった身代を支えるには、それなりの仕入れが必要なはずであるから、融資を求めるのであれば、火災直後にするべきだっただろう。

その決断ができなかったのであれば、レイオフという思い切った手段が必要だったかも知れない。

しかし、それも断行できないうちに奉公人が一人二人と辞めていき、遂には苦楽を共にした番頭までが離職するに至る。

そうして、にっちもさっちも行かなくなってから融資の依頼をするというのでは、経営のセンスがあるとは言えないだろう。

仮に、火災後すぐに兄を訪ねていれば、低利、あるいは無利子で融資を得られた可能性が高いのではないだろうか。

再び甘い見通し

弟は「百両、いや五十両でも・・・」と融資を依頼する。

この程度の甘い見通ししか持っていない弟に融資したとしても、商売が軌道に乗る見込みは薄いだろう。

しっかりした事業計画があれば、「これこれ、こういうことにいくら必要だから、これだけ貸して欲しい。何年後には返済できる見通しだ」という頼み方になるはずだ。

覚悟の甘さ

また、弟は、病身の妻と幼い娘を抱えているからという理由で、昔のようには働けないと言う。

その事情には同情するのが普通だとは思うのだが、「だから五十両」という金額になる根拠は薄い。

もしも、弟の依頼が「当座の薬代と生活資金だけでも貸してもらえれば・・・」とか「妻と娘をしばらく預かってくれれば・・・」というもので、「そうすれば、あとは昔のように身を粉にして働き、事業を再建してみせる」という覚悟を示したとしたら、結果は違っていたかも知れない。

・・・などと鬼のように非情なことを書いてみたのだが、まあ、これは夢の話だったりする。

経営者としての成長

実は火災以降の話は夢だったということになるのだが、経営の観点から見ると、単なる夢オチという以上の意味があると思う。

リスク管理

弟がそのような夢を見た原因は、彼自身も述べているとおり「鼠穴」というリスクが気に掛かっていたからだと推測できる。

その小さなリスクから「さすがにそこまでは・・・」と思うほどの最悪のケースを想定し得るに至ったのは、弟が経営者として成長した証しであると言えないだろうか。

極めて甘い見通しに基づいて兄に奉公を願い出た頃と比べると、その成長ぶりは著しい。

残された課題

しかしながら、リスクマネジメントは、何でもかんでも対策を取ればいいというものではない。

費用対効果の評価

そのリスクが起こり得る可能性を検討し、どの程度のコストを掛けられるのか、つまり、費用対効果を考慮に入れなければ、経費は膨大となり、経営を圧迫してしまう。

そういう意味では、「鼠穴」のリスクを受容することを選択させた兄の行動は合理的だと言えるだろう。

火事が多い江戸の町とは言え、その夜に火事が起こり、しかも「鼠穴」を塞ぐように命じられた番頭がそれを怠っていて、さらに、火がそこから入って類焼してしまうという可能性はそれほど高いとは言えないのではないか。

部下への信頼

弟のもう1つの問題は、部下である番頭を信頼していないという点だ。

信頼できる者を番頭にしたのであれば、信じて任せるしかないし、信頼できない者を番頭にしているとすれば、それこそリスク管理が出来ていない。

弟が経営を安定させ、さらに繁盛させていくためには、このことも学ばねばならないことの1つだろう。

そして大店に

弟が見た夢は、考え得る最悪のケースを想定したシミュレーションの役割を果たしたと言える。

それを夢という形で疑似体験できるまでに成長した弟が、兄との対話を通して未だ自身に欠けている点を認識することが出来れば、さらに商売は繁盛し、大店になっていくことが期待できるだろう。

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*1:

鼠穴

鼠穴

 

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