我が輩は犬である。名前は・・・まぁ、それはいいとして、先日、我が輩の飼い主が『鴻池の犬』なる落語を聴いて愉しんでいたのであるが *1 、犬である我が輩としては若干気になるところがあり、ひと言物申すべく、飼い主の目を盗んでキーボードを叩いている次第である
【この記事の目次】
『鴻池の犬』に犬がひと言物申す
『鴻池の犬』とは、生き別れになった兄を探して旅をする犬の噺なのであるが、その実、犬の姿を借りた人情噺だと言っても良かろう。
我が輩の飼い主は人間である故、犬の作法については気にならぬ様子であるが、犬としては少し気になるところがあるのだ。
再会の場面
主人公(主犬公?)のシロが兄のクロと再会する場面、我が輩ならばどんな行動を取るか考えてしまうのだ。
久しく会っていない犬に思わず再会したら・・・あるいは、旧知の犬であることを確かめようとするとき、我等犬ならば思わず取ってしまう行動があると思うのだが、それが表現されておらぬのだ。
生い立ちを聞いて確かめるというのは、人間の作法としては正しいのであろうが、我等犬はそのような情報にはあまり頼らない。
視力
また、クロが「ほら、よく見ろ」などと言っておるが、普通は視覚にもあまり頼らないのだ。
サイトハウンドと呼ばれるグループは視覚を使って狩りをするが、優れているのは恐らく動体視力であろう。
色覚
まぁ、色の見分けが苦手だと言われる我等犬にとっても、白黒は見分けやすいのであるが、成長とともに模様が変わってしまうこともあり得るので、見た目は相手を確認する決め手にはならないのだ。
嗅覚
我等が相手を確認するために最も頼りにするのは嗅覚だ。
臭いを嗅げば、大体のことは分かる。
嗅覚が鈍感な人間には分からないだろうが、臭いというものは意外に多くのことを教えてくれるのである。
電柱におしっこをかけるのも、臭いによる情報交換という大事な目的もあるのだ。意味もなく脚を上げているわけではないのである。
そして、他の犬に出会ったときは、互いに臭いを嗅ぎ合うのが常である。
相手がどんな犬なのかは、肛門の辺りを嗅げば一発で特定できるのである。
だから、『鴻池の犬』の再会の場面でも、「ほら、よく見ろ」とかではなく、「ほら、よく嗅いでみろ」などと言って欲しいものである。
そして、くんくんと鼻を鳴らして「確かにあんちゃんだ」とか言うのが犬らしいと思うのである。
まぁ、これは犬としての意見なので、人間が楽しむ落語が我が輩の思い通りにならなかったとしても一向に構ワンのであるが。